日曜劇場「海に眠れダイヤモンド」第2話が放送されました。
さて、2話では鉄平たちの恋模様が一層はっきりと描かれましたね。
2話のエピソードを辿りながら今後の展開や恋模様を考察しています。
スクエアダンス
百合子が持ち込んだスクエアダンスで、4人の恋愛感情がはっきりと分かるように描かれています。
リナと組めることに喜ぶ鉄平。
そんな鉄平を見て傷つく朝子。
朝子と手を握ることを躊躇する賢将。
そんな二人を見つめる百合子。
台風9号
長崎端島は外洋に面しているので、台風にはよく見舞われたようですね。
歴史で見ると、
1955年 台風9号発生 ドルフィン桟橋・南部岸壁・端島プール損壊
1957年 端島小学校、端島中学校校舎全焼。端島病院、65号社宅類焼。端島小学校、中学校完成。海底水道工事完成。給水船 朝顔丸を廃船
1958年 端島病院復旧落成。端島南部プール落成水泳大会開催。第2回端島ドルフィン桟橋完成
1959年 台風14号発生。ドルフィン桟橋・植込桟橋・護岸壁に甚大な被害
自然災害や火災に見舞われながら、何度も復興しているのが見て取れます。
ドラマの台風は1955年の台風9号ですね。
海が時化て食料や水が運べない中、映画のフィルムだけは届いたというのは実際のエピソードだそうです。
それだけ当時は映画は大切な娯楽だったのですね。
口に出してしまった言葉
ドラマはこの台風をきっかけに動き出すそうです。
朝子の店の機械を守る手伝いをした賢将に朝子は「コッペパン好きだものね」。答えた賢将の「好きだ」は現在進行形。奥に秘めた言葉を口に出してしまった時、人はその言葉に縛られるのではないでしょうか。
鉄平は「学生の頃、やさぐれた百合子が好きだった」と告白します。鉄平が言葉にするのは、過去形。すでに心の整理がついているということです。
百合子は「知っていた。わたしを好きな人とは付き合えない」
百合子は自分はやさぐれていると評します。
百合子は複雑なんですね。
百合子と母親の確執
百合子が「自分を好きな人とは付き合えない」といったのは、被爆しているからではないかという考察があります。
百合子の母親が精神的にも肉体的にも衰弱しているのは、百合子の姉の死が関わっていることは間違いないようです。
祭壇の写真を見ると10代の少女です。百合子が大学卒業して22歳だとすると、長崎原爆投下のときは12歳。姉と幾つ違いかはわかりませんが写真の少女の年齢と思われます。
母親の白い包帯は、精神的なストレスから来る自傷とも取れますが、上腕まで広範囲の包帯はケロイドを隠すためとしたほうが自然ですね。
母親の腕の中で被爆死したとしたら、癒えない苦痛は想像できます。
敬虔なキリスト教信者である両親に対し、また姉の死を乗り越えられない母親への反発も理解できます。
百合子が「神様は助けてくれない。浦上の上にもピカは落ちた」とも言っています。
ただ、百合子が被爆者かどうかはまだ分かりませんね。たしかに、長崎では放射能の影響で小頭症や奇形の子どもが多く生まれ、被爆者であることを口にできない風潮がありました。
百合子は「島の娘」つまりは端島で生まれ育ったと言っていますが、百合子の父は鷹羽鉱業の職員ですから、終戦当時、長崎にいたかもしれませんが、まだ確かではないです。
百合子「分かってるの。外ではただの島の娘。
端島だから自由勝手にやっていける」
進平と妻
進平が結婚していたことが明かされました。そして、妻のえいこが台風で海に流されたこと。
「海に眠るダイヤモンド」とは、進平にとって愛する妻のことでしょうか。
台風の雨風の中、進平とリナにも進展がありそう・・・?
どうする鉄平!!
第3話では、なんと事件発生!!次回は朝子の反乱?波紋が広がりそうです。
いづみは誰か
最後に、物語の核心を握る「いづみは誰か問題」
第1話を見返してみると、プロローグでリナが小舟で端島を後にしたのは1965年です。
端島パートは、1955年から1965年の物語ということですね。それから9年後の1974年、炭坑は閉山し端島は無人島になります。
リナと共に島を離れた赤子は、2018年には53歳になっています。
リナと船に乗っていた赤子は他人と推理したのですが、もしリナともう一人、朝子か百合子が乗っていて、それが鉄平の子ならば玲央は孫の年齢に合いますね。
そうなると、玲央はいづみの孫ではないから。いづみを百合子と予想したので朝子ということになりますが・・・。
いづみが「TEPPEI ARAKI」の日記?を持っているということは、すでに鉄平は故人になっている?
あれこれ推理しながら第3話を待ちましょう。
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