兵庫県宝塚市在住の資産家夫妻が、新たな市立病院建設費や医療機器の購入資金として約254億円を寄付する申し出があったと公表しました。
資産家夫婦とは元キーエンスの社員、岡本光一さんと明美さん夫婦とのことです。
ボランティア活動

老朽化した病院の立て替えに兵庫県宝塚市に住む夫婦から約254億円の寄付がありました。 宝塚市によりますと、寄付をしたのは市内に住む岡本光一さん(77)と明美さん(75)夫妻で、老朽化が進む宝塚市立病院の建て替えと医療機器の購入資金としてあわせて約254億円を寄付したということです。 宝塚市への寄付としては過去最高額だということです。
mbsニュース
バリアフリーチャレンジサイトの岡本光一さんインタビューから紹介します。
岡本光一さん夫妻は、宝塚の市立病院建設などのために254億円もの寄付をしたことで話題になっていますが、実は岡本さんは30年にわたってボランティア活動を行っています。
岡本さんがボランティア活動を始めたのは1995年の阪神・淡路大震災がきっかけだそうです。
最初にしたのは屋根にブルーシートを張ること。
その後、仮設住宅ができると、入口や風呂場に段差があるからなんとかしてほしいと市の要請を受けて、「日曜大工ボランティアでえくさんず」を作って仮設住宅を回ったそうです。
「でえくさんず」は大工仕事だけでなく、家具の移動や引っ越しなど仮設住宅が解消するまでボランディアを続けます。
「でえくさんず」活動の拠点はボランティア活動センターの専用スペースを特別に借りて行っていたのだそうですが、他のグループがいつでもつける活動場所がない。
岡本さんは、いつでも使える活動場所があれば、もっと市民がボランティア活動に参画するのではないかと考え、広くて大きなボランティア活動センターを作ってしまいます。
1998年に住友信託銀行のグランドを個人で購入し、財団法人 プラザ・コムを1999年11月22日に設立し、ぷらざこむ1とフレミラを建てます。
(2010年11月1日には、公益法人改革の元に「公益財団法人」に移行し、 名称が「公益財団法人 プラザ・コム」となりました。)

ボランティアを始めてみたら、会社での人間関係とは全く違ったつながりができたそうです。
地域のつながりは人間と人間の付き合いで、すごくリラックスして付き合えたと語っています。
人間関係は魅力的でボランティア活動にのめり込んでいったそうです。
キーエンスの3番目の社員

この寄付した人は岡本光一さんという方で、創業者の滝崎武光さんと共にキーエンスを発展させた功労者らしい
— 激バズ3rd (@gekibnews) February 3, 2025
ちなみにキーエンスの平均年収は2000万円越えとのこと😱
【速報】兵庫・宝塚市で夫婦が約254億円を寄付 新たな市民病院の建設資金で「市民のためになれば」
pic.twitter.com/LEKKITNUU6
岡本さんは、今回だけでなく23年前にも36億円の寄付をしています。
どのようにしてその資産を作り上げたのでしょうか?
岡本さんは、回路設計などをする電子技術者でしたが、30歳手前のときに失業してしまい、当時は不況でなかなか就職先が見つからなかったそうです。
そんなとき、たまたま小さな新聞広告の求人で応募したのが「リード電機」、今の「キーエンス」だったそうです。
当時は小さな会社だけど、仕事をし始めると面白くてどんどんのめり込んだそうです。
「キーエンス」創業者の滝崎武光社長から「これからオートメーションのセンサーが売れる。それを開発してくれ」と言われて開発、製品化したそうです。今のキーエンスの土台を作った方といっても過言は無いですね。
会社はどんどん大きくなっていきますが、岡本さんは「技術屋だから人を扱うのが苦手だから辞めさせてくれ」と社長に言ったそうです。
その時、辞める理由が「ボランティアをしたいから」!!
岡本さんは3番目(奥さんの明美さんが2番目)の社員で、社長から「株を持たないか」と言われて株をもらったのだそうです。社長としては、岡本さんの技術を他に渡したくなかったのでしょうね。
当時、社長はずっと「この会社を上場させる」と言っていたそうですが、岡本さんは、「何をでかいことばかり言っているんだ」と思っていたそうです。
会社を辞めたのは震災の前年1994年出そうですが、それまでに会社は上場しています。
大阪市東淀川区の本社がある「キーエンス」(KEYENCE)は、利益率50%を超える日本を代表する超優良企業に成長しました。
「キーエンス」の基礎を築いた岡本光一さんの持ち株が膨大な額に膨れ上がりました。
その資産をボランティアに
岡本さんは「財を成したって言うけど、その財はどうやって成したかというと、自分の能力だけでできたわけではない。社長や社員の能力もあっての財ですよね。それを個人だけで占有するのは違うという思いはボランティアをする前からあって、それをどうしようかな、と思っていました。」と語っています。
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