『南総里見八犬伝』は江戸後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって書かれた、長編伝奇小説です。伝奇小説とは、古典中国の短編小説で、中国の古典的な歌舞演劇である戯曲の形式の1つを『伝奇』と呼ぶそうです。
馬琴の『南総里見八犬伝』も歌舞伎や浄瑠璃の題材として人気ですね。映画や小説、ドラマ、アニメ、ゲームなど多くの作品が作られてきました。現在でも2024年の6月大歌舞伎の夜の部で、中村歌昇ら若手歌舞伎俳優による「『南総里見八犬伝』円塚山の場」が上演されています。
そして、2024年10月『八犬伝』映画が再び登場!!
ここでは、歴代の『八犬伝』映画を集めて、その魅力を探っていきます。
キネマ旬報Webで検索すると「八犬伝」と名のついた映画は17本!!
1910年~20年代 サイレント映画 モノクロ・無声
南総里見八犬伝 上映日 1911年10月1日 吉沢商店製作 出演者:尾上幸蔵/市川高麗之助
後の八犬伝 制作年 1913 日活(京都撮影所)監督:牧野省三 出演者:尾上松之助
八犬伝(1913) 上映日 1913年1月21日 日活(京都撮影所)監督:牧野省三 出演者:尾上松之助
里見八犬伝(1915) 制作年 1915 天然色活動写真製作 スタッフ・キャスト:不明
八犬伝 第一篇 犬山道節(1916) 制作年 1916 日活(京都撮影所)出演者:尾上松之助
八犬伝 第二篇 犬塚信乃(1916) 制作年 1916 日活(京都撮影所)出演者:尾上松之助
里見八犬伝 前後篇(1919) 上映日 1919年3月31日 日活(京都撮影所)出演者:尾上松之助
吉沢商店は、日本最古の映画会社の一つだそう。映画初期から「南総里見八犬伝」は人気の題材として取り上げられたのですね。はぼ毎年製作されています!
監督の牧野省三は、「日本映画の父」と呼ばれたマキノ省三のこと。日本初の職業映画監督です。そのマキノに見いだされて、初の映画スターとなったのが、主演の尾上松之助です。
題材は歌舞伎や講談などですが、トリックを駆使した忍者映画なども撮っていたそうです。映画ならではのトリックは観客の度肝を抜いたのではないでしょうか。八房が突然消えたり、巨大になった玉梓の怨霊だのでてきたのかな。無声映画の弁士の滑舌とお囃子で観客が大いに盛り上がったのが想像できますね。
1930年代 トーキー映画へ 戦争前夜
里見八犬伝(1929) 上映日 1929年5月29日 帝国キネマ演芸 原作:松平昌之 脚本:松平昌之 監督:渡辺新太郎 撮影:三木茂 出演:市川百々之助/都さくら 時代劇コメディ
里見八犬伝 前篇(1938) 上映日 1938年2月1日 今井映画製作所 配給:東宝 監督:後藤昌信 撮影:平野好美 音楽:白木義信 出演:羅門光三郎/泉清子 モノクロ
里見八犬伝 後篇(1938) 上映日 1938年2月9日 今井映画製作所 配給:東宝 監督:後藤昌信 撮影:平野好美 音楽:白木義信 出演:羅門光三郎/泉清子 モノクロ
里見八犬伝(1939) 上映日 1939年11月15日 新興キネマ(京都撮影所)脚本:神脇満 監督:吉田信三 撮影:原義勝 音楽:佐藤顕雄 出演:大谷日出夫/大友柳太郎/市川男女之助/南条新太郎/松浦妙子 モノクロ
1929年10月にアメリカで株価が大暴落、世界恐慌が始まります。1923年の関東大震災からの復興も半ばの日本経済は大打撃を受けます。
活路を他国の侵略に求め、関東軍は満州事変を起こしたのが1931年。徐々に軍部が力を持つようになり、1937年日中戦争へ、そして第二次世界大戦へと戦争への道を突き進んでしまいます。
そんな時代の中、映画はトーキーへと移行します。松竹の撮影所が蒲田から大船に移動したのは、蒲田撮影所の周りに軍事工場が増えて、音がうるさく、無声からトーキーとなった映画の撮影に支障をきたしたからだそうです。
軍靴の足音が聞こえる中、映画は庶民の娯楽として戦前の黄金時代を迎えます。1920年から1930年までの映画製作はアメリカにも迫る世界有数の映画大国だったようです。
外国のトーキー映画が入ってきて、日本映画もトーキ-映画がつくられるようになりますが、無声映画の弁士の人気もあって、すべてがトーキーに入れ替わったわけではないようです。とはいえ弁士や楽隊に支払うお金を削減したいという興行側の思惑もあったようですね。
今井映画撮影所の詳細は確認できませんでしたが、配給は東宝が行い、1936年には東宝京都撮影所に吸収合併されています。東宝京都撮影所は時代劇を主に製作していたようですから、「里見八犬伝」は1939年まで撮影できたのかもしれませんね。
1950年代の作品 戦後の映画黄金時代
トンチンカン八犬伝 上映日 1953年6月17日 宝塚映画製作所 配給:東宝 脚本:秋田実 /鏡二郎 監督;並木鏡太郎 撮影:藤井春美 音楽:河村篤二 美術:西七郎 照明:田辺憲一 録音:竹川昌男 出演:柳家金語楼/横山エンタツの他浅茅しのぶ、桃乃井香織、九重千鶴等宝塚のスターや夢路いとし、喜味こいし、ミス・ワカサなど宝塚映画の常連コメディアンが出演 時代劇コメディ モノクロ
里見八犬傳(1954) 上映日 1954年5月31日 東映京都製作 配給:東映 脚本:村松道平 監督:河野寿一 撮影:松井鴻 音楽:高橋半 美術:吉村晟 照明:福田二郎 録音:中山茂二 出演:東千代之介、中村錦之助、島田照夫、田代百合子、石井一雄、千原しのぶ、月形哲之介に、藤里まゆみなど。(五部作)モノクロ 戦後初の大規模な時代劇映画
里見八犬伝(1959) 上映日 1959年8月11日 東映京都製作 脚色:結束信二 監督:内出好吉 撮影:鷲尾元也 出演:伏見扇太郎、尾上鯉之助、里見浩太朗、中里阿津子、花園ひろみなど。カラー 特撮技術を使っての娯楽時代劇
第二次世界大戦中は、映画も軍部の統制下におかれることになります。
1939年に映画法ができて1941年には日本映画の製作数が半減します。けれど、映画館への入場者数は増加しているそう。映画は庶民の娯楽として定着していたんですね。
戦時下の検閲では、リアルな殺戮シーンや接吻シーンは禁止、つまりエログロはだめよってことでした。
敗戦後はGHQの検閲を受けることになります。GHQの検閲で一番影響を受けたのは時代劇でした。刀を振り回す剣劇は軍国主義的であり、敵討ちなど復讐の賛美がアメリカ合衆国に対する敵対心を喚起するとされました。「里見八犬伝」の映画はできなかったんですね。
このGHQの検閲が廃止されたのは、サンフランシスコ講和条約の翌年1952年です。ここから日本映画の黄金時代が始まります。黒澤明、小津安二郎、溝口健二、市川崑、今井正・・・そうそうたるメンバーですね。
トンチンカン八犬伝は、喜劇作家 秋田実が脚本を手掛け、宝塚スターや人気コメディアンが共演したコメディです。やっと自由を取り戻したという解放感を感じますね。
里見八犬傳(1954)・里見八犬伝(1959)は東映京都製作。いろいろと紆余曲折あるようですが、現在の京都太秦撮影所です。ここから多くの時代劇が生まれていきました。
新八犬伝 NHK人形劇 辻村ジュサブローの世界
と、ここで・・・映画ではありませんが、どうしても外せないのがNHKで放送された人形劇『新八犬伝』です。
『新八犬伝』NHK総合TVで1973年4月2日から1975年3月28日まで放送された人形劇。全464回。
- 脚本:石山透 音楽:藤井凡大 人形:辻村ジュサブロー 語り(黒子):坂本九
次に里見八犬伝の映画が登場するのは1983年の角川映画『里見八犬伝』まで待つことになります。
1960年代の日本映画は名作がたくさん生まれた時代でもあります。時代劇では、黒澤明の「用心棒」や「椿三十郎」などがあります。
1964年に東京オリンピックが開かれ、高度経済成長期へと向かいますが、反面、水俣病や四日市ぜんそくなど公害病が社会問題になりました。
また1965年アメリカがベトナム戦争に本格参戦、反戦運動が盛り上がった時代でもありました。映画も社会的なテーマや人間ドラマを深く掘り下げた作品が多く作られました。
1960年から70年代は、テレビの普及により時代劇はテレビ番組としてお茶の間に定着しました。「水戸黄門」「遠山の金さん」「暴れん坊将軍」「銭形平次」。一つのテレビに家族みんなが集まって楽しめる勧善懲悪のストーリーです。
その1970年代に子供向け人形劇に『新八犬伝』は登場します。可愛らしいキャラクターの人形劇から辻村ジュサブローが作り出す人形浄瑠璃の世界は、「玉梓が怨霊~」というおどろおどろしいセリフと、坂本九の子供でも分かりやすく軽快な語りで大人気になりました。
残念ながら映像はほとんど残っていないそうですが、脚本の石山透書き下ろしノベライズの復刻版が出版されています。読本らしい語り口調で大人も子供も楽しますよ★
里見八犬伝 1983年 角川映画
監督 | 深作欣二 |
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脚本 | 鎌田敏夫/深作欣二 |
原作 | 鎌田敏夫 『新・里見八犬伝』 |
製作 | 角川春樹 |
出演者 | 薬師丸ひろ子/真田広之/松坂慶子/千葉真一 |
音楽 | NOBODY |
主題歌 | ジョン・オバニオン |
撮影 | 仙元誠三 |
編集 | 市田勇 |
製作会社 | 角川春樹事務所 |
配給 | 東映洋画 |
公開 | 1983年12月10日 |
1979年『スターウォーズ』が公開され、莫大な予算をかけて作られるハリウッドの大作映画が押し寄せてきました。『バックトゥザフューチャー』『E.T』『ダイ・ハード』・・・。
黒澤明の『影武者』はハリウッドの大手スタジオから世界配給された最初の日本映画で、フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスが外国版プロデューサーとして参加しました。
1980年からのバブル景気時代、テレビでもトレンドドラマやアイドル、アニメが人気になって、型にはまった時代劇は若い世代から敬遠されるようになります。
2024年の現在でも、テレビの時代劇といえばNHK大河ドラマくらいしか思い浮かばないですね。
時代劇はお金がかかる、視聴率が伸びないのでスポンサーがつかない、撮影場所がない等々、厳しい状態だったようです。
そんな時代に、新しい時代劇を目指して作られたのが『里見八犬伝』です。
出版業界から映画産業へ参入した角川映画は、それまでの映画業界の常識を覆すテレビCMを使った宣伝方法など、映画界に新風を巻き起こしました。
『里見八犬伝』は角川映画のアイドル薬師丸ひろ子と、千葉真一率いるJAC(ジャパンアクションクラブ)の若きアクションスター真田広之の共演で話題となりました。
原作は鎌田敏夫 『新・里見八犬伝』。「『南総里見八犬伝』をベースにしながらも波乱のドラマを加え、大きく変身させた疾風迅雷の大伝奇エンターテインメント・ノベル。」と紹介されています。
派手なアクション、英語詩のロック主題歌、特撮を駆使し、斬新なアイデアを盛り込んだエンターテイメント時代劇です。特殊メイクがクレジットされたのもこの映画が初めてだそうです。
角川映画の評価は分かれるところですが、映画はテレビより高尚という風潮を崩してテレビっ子たちを劇場に向かわせた功績は大きのではないでしょうか?
今では考えられませんが、テレビでも女性の露出、セクハラは当たり前の時代で、『里見八犬伝』でも妖艶な玉梓を夏木マリが演じています。
怨霊や魔術なんておどろおどろしい雰囲気と、純愛を軸にしたストーリーで若い世代を取り込みました。なかでも薬師丸ひろ子真田広之のラブシーンは衝撃的でした。ドキドキして観たのを思い出します。
八犬伝 2024年
出演:役所広司/内野聖陽/ 土屋太鳳 / 渡邊圭祐/鈴木 仁/板垣李光人/河合優実/小木茂光/丸山智己/真飛 聖/忍成修吾/塩野瑛久/神尾 佑 / 栗山千明/中村獅童、尾上右近/磯村勇斗/立川談春/黒木 華/寺島しのぶ
原作:『八犬伝 上・下』山田風太郎(角川文庫刊)
脚本・監督:曽利文彦
撮影:佐光 朗 (J.S.C)
アクション監督:出口正義
音楽:北里玲二
エグゼクティブプロデューサー:武部由実子
プロデューサー:葭原弓子、谷川由希子
2024年10月に公開される『八犬伝』は、これまで曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を翻案した映画ではないのが、最も大きな特徴です。
原作は山田風太郎の『八犬伝』。『南総里見八犬伝』をモチーフに、『南総里見八犬伝』の作者・滝沢馬琴と葛飾北斎との交流を描いた「実の世界」と、『南総里見八犬伝』の「虚の世界」の2つの世界を交錯させながら描いています。
初版は1983年。1982年に朝日新聞の夕刊に連載されたそうです。全359回。曲亭はペンネームで本名が滝沢なので、あえて滝沢馬琴と言っているのも実の世界を描いているからなのでしょう。
時代は江戸後期、商人文化が花開いた時代です。滝沢馬琴の出自は武士ですが、生計のために商家のお百に婿入りします。しかし商売に興味は示さなかったようです。
その後、読本作家として名を成し、ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家とのことです。
悲願だった武家「滝沢家」の復興も長男・鎮五郎(のちの宗伯興継)が叶えますが、宗伯は若くして亡くなります。
晩年、失明したため口述筆記した宗伯の妻お路に馬琴の妻お百が嫉妬したりと実生活は家庭円満とはいかなかったようです。
時間が行き来する手法を使った映画はたくさんありますが、『八犬伝』は作者と、作者が生み出す「虚」の世界が交互に描かれ、まるで作者の頭の中を覗く感覚になりますね。なので、「虚」で描かれる「里見八犬伝」の世界は、原作『南総里見八犬伝』に忠実であると思われます。
とはいえ、2時間の映画の中ですから、描かれる『虚』の世界は有名な場面でしょう。予告映像では、有名な「芳流閣の決闘」が描かれていますが、現在のVFXを駆使した迫力のある映像になっています。
さて『正義で何が悪い』が何を意味するのか?『南総里見八犬伝』のテーマは『勧善懲悪』と『因果応報』。武家の出自である馬琴は、若いころは放蕩もしましたが、読本作家として成功してからは判で押したような生活をしたらしいです。真面目なのか、頑固なのか。
武士であったというアイデンティティを持ちづづけていたようで、婿入りしたにもかかわらず妻の姓は名乗っていません。『実』と『虚』の葛藤があったのかもしれませんね。映画を見て、また考察したいと思います。
作者にスポットを当てた『八犬伝』の世界。映像の対比も楽しみです。
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