「東京五輪をめぐって大手企業が談合していた」というニュースを見て、あまりにもショックで言葉を失いました。
五輪って「国民全体のための祭典」だったはずなのに…いつの間にか一部の企業だけが得をする仕組みになっていたなんて、正直がっかりです。
この記事では、ニュースの詳細と一緒に、私自身が感じたモヤモヤや疑問を、自分なりの言葉でまとめてみました。同じように「なんかおかしくない?」と思った方と、この問題について一緒に考えるきっかけになればうれしいです。
はじめに
東京五輪談合、「電通グループ」など7社に課徴金33億円の納付命令…公取委 : 読売新聞オンライン https://t.co/kTDGUB05lt #電通 #オリンピック
— 読売新聞オンライン (@Yomiuri_Online) June 23, 2025
五輪開催の舞台裏で何が起きていたのか
華やかに幕を開けた東京オリンピック。その舞台裏では、表には見えない企業間の不正な取り引きが進行していました。特に注目されたのが、大手広告代理店・電通を含む7社による談合事件です。
これは、テストイベントなどの運営業務をめぐり、受注先を事前に調整していたとされるもの。公平な入札を前提とした公共契約が、特定の企業の利益のために歪められていたという事実に、多くの国民が驚きと失望を感じました。
談合が行われた背景には、「五輪特需」とも呼ばれる巨額の経済効果を見越した企業間の思惑がありました。
表では「復興五輪」「平和の祭典」として国民の協力を得ていた一方で、裏では一部の企業が自社の利益確保を優先していた可能性が高いと指摘されています。
公正取引委員会の動きと社会の反応
この不正に対し、公正取引委員会は2024年、電通や博報堂など7社に対して、総額33億円という課徴金の納付を命じました。これは日本の独占禁止法に基づく厳しい処分の一つであり、談合行為に対する強い警告でもあります。
しかしながら、SNSなどでは「談合による利益のほうが課徴金より大きいのでは?」「これでは抑止力にならない」といった声も多く上がりました。
一部では、今回の五輪開催が本来のスポーツ振興ではなく、特定企業のビジネスチャンスとして利用されたのではないかとの疑念すら広がっています。
こうした社会の反応は、今後の大型イベント開催において、より透明性の高い運営が求められることを示しています。
1.談合の概要と関係企業

電通など7社が関与した談合の実態
今回の談合事件では、電通、博報堂DYメディアパートナーズ、東急エージェンシー、ADKマーケティング・ソリューションズ、セレスポ、フジクリエイティブコーポレーション、テレビ朝日映像の7社が関与していたとされます。
これらの企業は、東京オリンピック・パラリンピックに関連するテスト大会などの運営業務に関して、入札前から事前に落札予定業者を決めていたとされ、公正な競争が成り立たない状態を作っていたと公取委が認定しました。
特に電通は、五輪組織委員会との関係性が深く、複数の業務で「中核的な役割」を果たしていたと報じられています。
その影響力の強さから、他の企業が自主的に歩調を合わせるような構図になっていたことが、今回の談合の温床になったとも見られています。
どのような契約が不正に取り決められたのか
談合の対象となったのは、会場ごとに行われる「テスト大会」の企画・運営などを含む業務委託契約でした。
これらの契約は本来、競争入札により公平に業者を決めるべきものでしたが、実際には事前の話し合いで「この会社がここを受け持つ」と決められていたとされます。
例として、ある競技場ではA社が名目上入札で落札したものの、他社はあらかじめA社が落札することを承知して入札を控えた、あるいは形だけの応札をしたとされます。
こうした「出来レース」が多数あったと指摘されており、オリンピックという公共性の高いイベントにふさわしくない不透明な契約実態が明らかになりました。
企業ごとの役割と利益構造
7社はそれぞれが異なる競技会場や業務を担当していましたが、電通と博報堂という大手2社が全体をコントロールする形で主導的な立場にあったとされています。
たとえば、電通は複数の主要競技場のテスト大会で中心的な役割を担っており、実質的な調整役を果たしていた可能性が高いです。
談合によって得られた利益は、事前に受注が確定していることにより、入札に要するコストが下がり、かつ見積もり価格が高止まりすることで、企業側が多くの利益を上げやすくなるという構図です。
公取委によれば、こうした「見えにくい利益」が企業にとって課徴金以上の価値を持つ場合、違法性があっても談合を繰り返すインセンティブになりうるとの見方が示されています。
2.課徴金納付命令の内容とその意義
公取委が命じた課徴金の詳細(総額33億円)
2024年、公正取引委員会は東京五輪を巡る談合問題に関して、関与が確認された7社に対し、独占禁止法に基づく課徴金納付命令を出しました。
その合計額はおよそ33億円にのぼり、電通が約14億円、博報堂が約6億円、その他の5社にも数千万円から数億円単位の課徴金が科されました。
これは形式的には重い処分ではありますが、各社の受注額や利益と照らし合わせると「軽すぎる」との声も上がっています。
とくに電通などはオリンピック関連の複数事業で巨額の収益を上げていたとされ、「33億円では済まないはずだ」といった市民の声も少なくありません。
課徴金の金額は、あくまで違反によって得られた売上に基づいて算出されるため、刑罰的な意味合いは薄く、再発防止のための抑止力としては不十分とも言われています。
「利益の方が大きい」指摘の真意とは
この事件に関する報道やSNSで繰り返し出てきたのが、「課徴金よりも談合で得られる利益のほうが大きいのではないか?」という疑問です。
実際、ある経済評論家は「数十億の課徴金を支払っても、事前に受注を確保し利益を確定できるメリットが上回れば、企業は違法性があってもリスクを取る」と述べています。
この構図は、談合という行為に「コスパのよさ」が生じてしまっているということです。
競争入札であるにもかかわらず、実質的には競争が起こらない環境では、価格は下がらず、企業にとって都合のよい受注が可能になります。
このような状態が続けば、公正な取引市場が損なわれるだけでなく、納税者である国民の信頼も著しく損なわれることになります。
法制度の限界と見直しの必要性
今回の課徴金命令は、日本の独占禁止法に基づいたものですが、この制度そのものが限界にきているとの指摘も多く聞かれます。
たとえば、違反があっても刑事罰に至るケースは少なく、企業側にとって「痛み」が小さいという問題があります。
また、違反行為の立証に時間がかかることや、課徴金の算出基準があいまいであることも制度的な課題とされています。
近年では、EUやアメリカでは談合やカルテルに対して非常に厳しい制裁が科されるケースが多く、企業役員個人への刑事責任も問われます。
日本でも同様に、企業だけでなく個人にまで責任を及ぼす枠組みや、再発防止策としての内部通報制度の義務化など、より実効性のある制度改革が求められている段階です。
3.五輪ビジネスの構造的問題

五輪が「一部企業のため」のイベントに?
東京オリンピックは「国民全体の祭典」として開催されたはずでしたが、今回の談合問題によって「一部の企業だけが得をする構造だったのでは?」という疑念が強まっています。
実際、開催準備やテスト大会、運営業務などの入札は多くの企業にとってビジネスチャンスとなりましたが、その機会が公平に分配されていなかったことが明らかになりました。
たとえば、ある地方の中小イベント会社は、「五輪関連事業に応募しようとしたが、すでに大手で話がついていると聞かされた」と証言しています。
こうした構図は、競争によるコスト削減や新しい技術の導入といった本来のメリットを損ない、「五輪=利益確保の道具」という印象を国民に与えてしまいました。
公共事業としての正当性と国民の視点
五輪は単なるスポーツイベントではなく、国の税金や自治体の予算が投入される巨大な公共事業です。
にもかかわらず、今回のように談合や不透明な取引が行われていたとすれば、「そのお金は誰のために使われたのか?」という根本的な疑問が残ります。
SNSでも「五輪を支えたのはボランティアや医療関係者なのに、儲けたのは一部の企業だった」「結局は国民負担だけが残った」という厳しい声が目立ちました。
イベント終了後に残る施設や経済効果が一部企業の帳簿上だけのものに終わってしまうのであれば、五輪の意義そのものが問われます。
今後の大型イベントと透明性の担保
今回の事例から学ぶべきは、「透明性こそが信頼の土台である」という点です。
今後、日本でまた大規模イベント(例えば大阪・関西万博など)が予定されていますが、過去の過ちを繰り返さないためにも、運営体制の見直しが必要不可欠です。
たとえば、入札情報の公開、第三者による監視体制の導入、談合リスクのある業種への特別な審査基準など、制度面からの再構築が求められます。
また、行政や組織委員会の情報発信のあり方も、より丁寧かつ説明責任を果たす形に変えていく必要があります。
五輪をはじめとする大型イベントが、再び国民の支持を得られるものになるには、経済効果や盛り上がりだけでなく、「正しい手続きで進められている」という信頼が不可欠です。
まとめ
東京五輪における談合問題は、単なる一企業の不正を超え、五輪ビジネスの構造そのものに深い疑問を投げかける出来事でした。
電通など大手企業が中心となり、事前に受注先を決めていたとされる入札の形骸化。そして、その見返りとして得られた利益が、課徴金よりもはるかに大きかった可能性があるという現実。
これでは、企業にとって「リスクを取る価値のある違法行為」になってしまいかねません。
また、国民の税金が投入された巨大イベントが、ごく一部の企業の利益追求に使われていたという印象を与えたことで、五輪の本来の意義や公共性までが問われています。
今後、万博や国際スポーツ大会など大型イベントの開催が予定されている日本にとって、透明性のある運営と、公平な競争環境の整備は避けて通れない課題です。
「二度と同じ過ちを繰り返さない」ためには、制度の見直しと同時に、私たち一人ひとりがその在り方を見つめ直し、声を上げていくことも必要なのかもしれません。
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