日曜劇場「御上先生」は、児童虐待やセクシャルマイノリティなどの社会問題、日航機墜落事故などの歴史的事件、経済問題など様々な現在の問題を取り上げている脚本家・詩森ろばのオリジナル脚本です。
日本アカデミー賞を受賞した、映画『新聞記者』の脚本も手掛けており、同映画に出演した松坂桃李が主演をつとめています。
『文科省の“官僚”兼“教師”が権力に侵された日本教育をぶっ壊す!?』
ドラマの煽り文句には強烈な怒りを感じます。
脚本家・詩森ろばがドラマに込めた想いとは何でしょうか?
バタフライエフェクト

「御上先生」のタイトルアニメーションで、虫かごから蝶がヒラヒラを飛びだしていきます。
また、ドラマの中では御上(松坂桃李)が、迷い込んだ蝶を大事そうに手で抱えて窓の外に逃がす印象的なシーンがありました。
そして、神崎(奥平大兼)の教師の浮気暴露スクープによって何が起こったか?と問いかけるシーンで「バタフライエフェクト」という言葉が使われています。
バタフライエフェクトとは、気象学者のエドワード・ロレンツが1972年学会で『予測不可能ーブラジルの蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか』という講演に由来しています。
Predictability: Does the Flap of a Butterfly’s Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?”
(予測可能性:ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?)
蝶の羽ばたきのような些細な出来事でも、様々な要因が絡み合い竜巻のように世の中を揺り動かす可能性があると、小さな変化が時間の経過とともに大きな変化になることを説明しました。
その詩的な表現は人気となり、多くの映画やドラマの主題として取り上げられています。
殺人事件
ドラマは国家公務員採用総合職一次試験で殺人事件が起こるというショッキングな映像から始まりました。
連行される犯人・真山弓弦の映像と、テレビのニュース映像を驚愕して見つめる冴島悠子(常盤貴子)。
御上は、表向きは私学への官僚派遣制度として、内実は天下り斡旋の汚名による左遷で文部科学省を去ります。
そして、御上のモノローグ
「君は今、社会の歪(ひずみ)の責任を一身に背負わされ、そこで一人きりだ。その孤独を、僕は見捨てない。帰るべき場所を、君も探している。君たちの中に眠っている可能性が、僕を導く。泥水を啜る覚悟なら出来ている」
「あなたの声にならない叫びを、聞こえないことにしない。愛と憎しみはとても近くにあると、あなたに教えられた」
【君は今、社会の歪(ひずみ)の責任を一身に背負わされ、そこで一人きりだ。その孤独を、僕は見捨てない。】これは真山弓弦に向けた言葉なら、
【君たちの中に眠っている可能性が、僕を導く】はこれから向かう隣徳学院3年2組の29人の生徒に向けた言葉だと思う。
そして【愛と憎しみはとても近くにあると、あなたに教えられた】あなたとは?御上が見る学生服姿の彼なのか?
ドラマの紹介で主演の松坂桃李は「このドラマは学校で起きるひとつひとつの問題が社会全体の問題に繋がっているということを強く打ち出しているドラマです。(中略)誰か一人が解決していくのではなく、みんなで向き合い、考えていく。」と語っています。
つまりは
文科省のエリート官僚が高3の担任教師に!
“官僚教師”が行う独自の授業とは!?
令和の18歳と共に日本教育に蔓延る腐った権力へ立ち向かう
大逆転教育再生ストーリー!
御上は隣徳学院3年2組の29人の生徒とバタフライエフェクトを起こそうとしているのではないでしょうか。
神崎拓人(奥平大兼)

御上は担任となった隣徳学院3年2組で、まず「要注意人物だから気をつけるように言われた」と神崎拓人を煽ります。
神崎の父親は著名なジャーナリストで、おそらく拓人は幼い頃から父を尊敬し憧れジャーナリストを目指しているようです。しかし、いつしか記者クラブでのうのうと垂れ流し記事を書いている父に怒りを感じるようになりました。
拓人の部屋にはピューリッツァー賞の書籍がありました。正義感が強く、不正に我慢できない性格で、教師の不倫をスクープして辞職に追い込んだこともありました。
神崎は御上が隣徳学院に赴任した理由が、文部科学省での天下り斡旋事件が元にあることを突き止め『文部科学省の闇』というスクープ記事を書きます。
御上は記事の内容をあっさりと認め、「そんなのは闇じゃない、日常だよ」と一笑します。
そして「なぜ女性の冴島先生(常盤貴子)だけが学校を去ることになったのか?なぜ想像力を働かせなかったのか?」と神崎を糾弾します。そして「闇を見たいなら放課後教室に来い」と告げ、教室に戻ってきた神埼にコンビニで働いている冴島の写真を見せます。
この行動が2話では神崎が冴島を訪ねること繋がっていくようです。

The personal is political(個人的なことは政治的なこと)
「どうして自分に関わるのか」と問う神崎に、御上は「似ているからかな」と答えます。
『パーソナル イズ ポリティカル』この言葉を教えたのは御上の中学時代の同級生でした。
今の御上からは想像もつかないような幼く純朴な少年の胸には『御上』の名札がありましたが、早熟な彼の胸には名札はありませんでした。
御上は神崎の中に、その彼を見ているのではないでしょうか?
時々、御上の前に現れる彼は、おそらく今はこの世にいないと思われます。
彼の身に何が起こって、今の御上を導いているのか?それはこれから明らかになっていくのでしょう。
「パーソナル イズ ポリティカル」この言葉は1960年代以降のアメリカの学生運動や第2波フェミニズム運動で掲げられたスローガンです。
個人的に思える問題も、政治的な問題に繋がっている。
例えば、女性でも社会に出て働きたいと人がいても、女性は育児や家事をするのは当たり前という考え方は、、社会の家長制度的考えでは常識とされていました。
女性よりも男性が率先して先頭に立つべきとの風潮は、日本の政治家や経営者に男性が多いことに現れています。
個人が我慢すればいいこと。自己責任だと言われる中に、政治的な背景や制度的な問題が潜んでいることを表しています。
詩森ろば

詩森ろば(しもりろば)
1963年生まれ(現・61-62歳)
出身地:宮城県仙台市(育ちは岩手県盛岡市)
職業:劇作家、舞台演出家、脚本家
1993年、劇団風琴工房旗揚げ。全ての脚本と演出を担当。
2018年よりserial number(シリアルナンバー)と改名。
受賞歴
2013年読売演劇大賞優秀作品賞(舞台『国語の時間』)
2016年紀伊國屋演劇賞個人賞(舞台『insider』)
2017年芸術選奨文部科学大臣新人賞(舞台『アンネの日』 その他)
2020年日本アカデミー賞優秀脚本賞(映画『新聞記者』)
2021年読売演劇大賞優秀演出家賞
詩森ろばは子供の頃から本好きだったそうです。芝居好きの母親の影響で色々な演劇に触れ、役者を志すようになります。
演劇関係の大学を受験するも失敗。その後、演劇とは関係ない専門学校に入学しますが、演劇に対する情熱は衰えず演劇サークルに参加。
その後、自ら演出をするために団員を募集して劇団風琴工房を旗揚げし、以後、すべての脚本と演出を担当します。
当初は自身も役者として舞台に立っていましたが、演出に専念するようになり、そのために本がしっかりしていないといけないと脚本にも力をいれるようになります。
演出に専念するきっかけはチェルノブイリの原発事故だそうです。
チェルノブイリの原発事故(86年)は、こんなことが起こるんだと、物凄く衝撃を受けました。ただ、それ以前も拒食症の話とか、アングラファンタジーとはいえ社会的なものを題材に取り上げていました。でも私も若かったので、センシティブな少年少女の話を書くことが多かった。でも『人魚の箱舟』あたりから、もうちょっと大きなテーマを書くようになっていったと思います。
PANJ詩森ろばインタビューより
イジメ的な体験もあってマイノリティに対して強くシンパシーを感じるし、子どもの頃からなぜそういうことが起こるんだろう?と疑問をもつ質だった気がします。
社会的なテーマに興味を持つようになったのは、アメリカ同時多発テロ事件がきっかけだそうです。
アメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、日本の文化の空洞化を強く感じるようになりました。カウンターカルチャーだけがあり、撃つべき敵がない状況が貧しすぎると思ったんです。それもあって、私はメインカルチャーを目指そうとはっきり意識しました。メインカルチャーの定義は難しいですが、誤解を恐れず言えば、演劇においてはやはり物語があり、人間の描き方が重層的ということではないでしょうか。
なので、本を書く上では、ある種のわかりやすさみたいなことを追求するようにもなりました。それはわかりやすいテーマを扱うということではなくて、わかり難いテーマを扱っていてもわかりやすく提供することを考えるようになったということです。カウンターカルチャーに対して、さらなるカウンターカルチャーを発明することがカッコいい時代に、なんかダサいな、と自分でも思いますが、誰かがやらなきゃならないことだから、と覚悟してやってるつもりです。
PANJ詩森ろばインタビューより
演劇を介して現実の社会に向かい合うため、取材や資料などで詳しいリサーチを始めます。
生身の人間に取材していくと、「浅はかだったな」と自分を否定する瞬間というのが必ず出てくる。自分の知らない世界を見ることは次の扉を開けることだと言っています。
旺盛な好奇心で、戦時下の樺太の残留朝鮮人の『記憶、或いは辺境』、水俣を題材にした『hg』、日航機墜落事故を題材にした『葬送の教室』など社会的なテーマから、雪の人工結晶をつくった学者・中谷宇吉を描いた『砂漠の音階』、化粧品会社を起こした女性起業家の『紅の舞う丘』。そして発光ダイオードを発明した科学者たちの話『Archives of Leviathan』、投資ファンドを扱った『hedge』の経済問題を扱うと思うと、『penalty killing』はアイスホッケーチームの話と様々なテーマを取り上げています。
人間は詩森ろばさんにとってはどういう存在ですか?の問に
やっぱり“人間は可愛らしい”というのが私のベースにはあるのかもしれません。
歴史を書いていると、変わるべきなのに、どうして変わらないんだろうと思うことも多い。でも、人間の行為や営み、対立を否定するのではなく、劇作という形で肯定することで良い方向に変わっていきたいという思いが、ここ5、6年、強くなっています。人間にはこんな可能性もあるんですよということをきちんと提出し、肯定した上で、次のことを考えられるような演劇をつくりたいですね。
PANJ詩森ろばインタビューより
テレビドラマの脚本は、よりエンターテイメント性が求められるかと思います。
「御上先生」では教育問題を現場から生徒自身が考えて変えていく。
詩森ろば脚本の大逆転教育再生ストーリー!に期待が膨らみます。
ドラマの時代性
図らずも、今、世の中ではタレントの中居正広の女性トラブルが波紋を広げています。
テレビ界でなくても、クライアントの接待に女性社員(もしくは男性社員)が同席させられるのは今までも常態化していたと思います。性接待まではいかなくても、「ちょっと体を触られるぐらいは会社のために我慢しろ!それくらい当たり前だ」は社会の常識として無言の圧力がありました。
しかし、Me Too運動に代表されるように、今まで沈黙されてきた問題を多くの人が公表することで世の中を変えていこうとする動きが始まり。会社もコンプライアンス(個人や企業が法律や社会的なルールを守ること)を重視するようになりました。
セクハラやパワハラは行ったほうが悪いと新しい常識も生まれてきました。
そんな中で、今回の中居の事件は、「黙ってはいない」という当たり前の蝶の羽ばたきが、竜巻となって企業の存続危機にまで広がっています。
それは個人的なセクハラ事件の背景に、女性蔑視や長いのもには巻かれろといった時代の変化についていけない社会の常識への反旗でもありますね。
「パーソナル イズ ポリティカル」このドラマを通じて考えさせられることは多いようです。
コメント