NHK大河ドラマ「べらぼう」が始まりました。
日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き 時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物 “蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯。
公式サイトより
痛快エンターテイメントドラマです。
第1回の放送にSNSが注目したのが、遊女の遺体が全裸で映し出されたことでした。「攻めてる」「リアリティがある」との声もありますが、「子供が見ている時間帯なのに」と否定的な意見もありました。
また、遺体を演じた女優がインスタで撮影の裏側を語ったことで、過酷な撮影現場や、共演した子役の発言が物議を醸しています。
全裸演出の是非を考察してみました。
投げ込み寺
通称「投げ込み寺」とは、浄閑寺(じょうかんじ)(東京都荒川区南千住)という浄土宗の寺院です。
吉原遊郭の近くの寺で、創建は吉原より2年早い1655年です。、遊女を読んだ、川柳作家の花又花酔の句「生れては苦界 死しては浄閑寺」でも知られています。
病気などで死んだ吉原遊郭の遊女は、浄閑寺に投げ込まれたということから呼ばれるようになったそうです。
ドラマで遊女の死体が置かれていたのが、浄閑寺の境内かと思われます。
ただし、「投げ込み寺」と呼ばれるようになったのは、安政の大地震(1855年)に大量の遊女が死亡した際、投げ込むように寺で葬られたことによるそうなので、ドラマよりは後になりますね。
遊女の遺体は、素裸にされ簀巻きにされて寺に投げ込まれたとされています。
「簀巻きにする」のは「人間として葬ると後に祟るので、犬や猫のように扱って畜生道に落とす」という考えによるとのこと。
しかし、このように簀巻きにされたのは吉原の掟を破ったものに限られていると最近の研究では明らかになっているようです。
「新吉原総霊塔」遊女やその子供や遺手婆など推定約2万5千人の身寄りのない亡骸が葬られていると言われています。亡くなった遊女の平均年齢は21、22歳だったそうです。中には無数の遊女の骨壺が収められている。左の歌碑は花又花酔の句「生れては苦界 死しては浄閑寺」。
べらぼう第1話 蔦重の決意と覚醒
「べらぼう」の第1話で重要なシーンは2つだと思います。
重商政策の田沼時代、貨幣経済は回るが広がる格差。食えなくて身を売られた遊女は格差社会の最下層。その遊女の吉原にもヒエラルキーがあって、最下層は飯も食えない。
蔦屋重三郎(横浜流星)が、お世話になった遊女、朝顔(愛希れいか)の無惨な死様にふれることで、悲しみが怒りに変わるシーン。
田沼意次(渡辺謙)に直訴し、「おまえは何をしてきた」と問われ、覚醒するシーン。
遊女の無惨な死の演出意図とは?
蔦重に吉原を変える決意を指せる重要なシーンですから、以下にインパクトをもたせるかを演出は考えたのか思います。
映像は俯瞰で映されていました。その構図は、山門の横に指図する人足、寺院の大屋根をかすめて境内に横たわる4体の遺体、その右上に墓堀人足たちが墓を掘っている。
これは悲惨さを表すために地獄草紙か何かをモデルにした構図かと思いましたが、特に似た構図は見当たりませんでした。
インパクト重視のリアル表現?
前出したように、身寄りのない吉原の遊女が亡くなった場合、素裸にされて浄閑寺で葬られたのは事実のようです。
ただし、安政の大地震で大量死が出たときは、文字通り素裸で放り込まれたそうですが、通常は簀巻きの状態ではなかったのかと思います。
罪人が簀巻きにされるのは、昔の時代劇ではよく描かれていました。
背面だけでも女性の白い裸体が映す出されるのはインパクト大でしたが、死んだ遊女たちの遺体があまりに綺麗で生々しいのには違和感がありました。
遺体の構図にしても、朝霧役の女優の臀部を隠すために重ねているのは明白で、それだといかにもなので他に2体並べているように感じます。
遊女の平均年齢は21、22歳ですから、若い娘なのですが、飢餓や病気または折檻で亡くなったのなら、こんなにキレイなものだろうかと思います。それなら簀巻きにしたほうが、よりリアリティはあるのではないかと思います。
「遊女は死んだら着物を剥ぎ取られて捨てられる」セリフのため?
強烈なセリフで、吉原遊女の悲惨さを強調しています。
蔦重が唐松(&視聴者)に吉原の悲惨な現状を教えるためのセリフですが、nnn・・・簀巻きでもいいかもですね。
8時からという放送時間から、子供には見せられないという反応も見られました。
こういう反応に関しては、昭和時代、テレビで裸の女性が氾濫していた頃を思うと隔世の感がありますね。
今回の大河ドラマ「べらぼう」では、吉原が舞台ということで性的描写のある場面の撮影で俳優を支える「インティマシーコーディネーター」(IC)が初めて起用されているそうです。
女性の裸や性的描写がすべてNGということではなく、必然性と演出効果が求められます。なかなか難しい舵取りですね。
撮影現場の裏側
もう一つ物議を醸しているのが、撮影現場の裏側についてです。
死体役の女優(吉高寧々)がインスタライブで、べらぼうの撮影について「撮影に7時間かかった」「スタッフは周りで動く回っていた」「立ち上がるときは、スタッフが周りを囲ってくれた」「死体役なのでトイレに行きたいと言いづらかった」「朝顔役の女優さんは上に乗られた状態で我慢、根性ある!!」など語ったそうです。
撮影に7時間、すべてが全裸で横たわったままだったのかわかりませんし、素人なので現場の必要性はわかりませんが、そんなに時間がかかるものなのかと疑問には感じます。もう少し配慮があってもいいのかと。
そして最も物議を醸したのが、子役が現場にいたことです。
子役が主演の横浜流星に「いくらもらったら、この裸の役をやる?」と聞いていて、残酷だなと思ったと。横浜流星は「ん~わからないな。でもお芝居だったら、どんな役でもちゃんとやるよね」と神対応だったこと。
また「裸の自分たちの前で一番ピリピリしていたのは子役の母親だったろう」「この子がグレたら私達のせいやな」と語ったそうです。
昔、劇団四季の市村正親だったかな?「役者は舞台の上で全裸にでもなる」と言っていた覚えがあります。
裸起用の役でも、死体役でも役者はプロとして仕事をします。
子役の発言は正直な感想で、これから色々な体験をしていく中で、役者としての覚悟を得て成長していくのでしょう。
ただ、やはり女優たちが感じたように、このシーンに子役がいる必然性が感じられないのも確かですね。
まとめ
NHK大河ドラマ「べらぼう」に第一回放送で話題になった女性の全裸死体シーンについて考察しました。
遊女の悲惨さを強調するためにインパクト重視の演出だったと感じましたが、SNSの反応は、「攻めた演出」と評価する反面「子供には見せられない」との批判の声も上がりました。
また、同シーンに子役が共演していることにも非難の声があります。
戦乱がなく、主人公は蔦屋重三郎という超有名人でもない一生をどう描くか、これからも課題は多そうですね。
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