公立校の快進撃|県岐阜商が横浜高校を破った甲子園延長戦の真実

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2025年夏の甲子園で大きな話題を呼んだのが、県立岐阜商業高校(県岐阜商)の戦いです。
強豪・横浜高校との試合は延長11回までもつれる大熱戦。誤審疑惑や怪我人の続出など、公立校には厳しい逆境が次々と襲いかかりましたが、県岐阜商ナインは最後まで集中力を切らさずプレーを続けました。


そして迎えた延長11回裏、4番・坂口路歩の一打で劇的なサヨナラ勝利。観客も涙するほどの「公立校の快進撃」は、甲子園の歴史に刻まれる名勝負となりました。


本記事では、藤井潤作監督の異色の経歴、選手たちの証言、そして延長11回の舞台裏までを徹底解説します。

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目次

はじめに

公立高校・県岐阜商が挑んだ甲子園の舞台裏

夏の甲子園といえば、多くの人が「私立の強豪校が勝ち進む大会」というイメージを持つかもしれません。実際、全国的に見ても設備や選手層で優位に立つ私立高校が毎年のように上位へ進出します。

そんな中、今年注目を集めたのが県立岐阜商業、通称「県岐阜商」でした。地元の新聞記者ですら「出場すら厳しい」と予想していたチームが、強豪横浜高校を相手に大熱戦を繰り広げ、球場を沸かせたのです。

試合前夜、監督の藤井潤作は「楽しもう、思いっきりやろう」と選手に声をかけました。その言葉通り、チームは一戦ごとに成長し、甲子園で大番狂わせを起こしていきます。

公立校ならではの苦労や制約を抱えながらも、伝統校としての誇りを背負って挑んだ姿は、多くの観客の心に響きました。

横浜戦に隠された波乱と記者の証言

横浜高校との試合は、延長11回までもつれる大接戦となりました。

判定を巡る誤審疑惑、緊迫する場面での失敗やミス、それをすぐに切り替えて戦い続ける選手たちの姿――。その舞台裏には、取材を続けてきた記者たちだけが知るドラマが数多くありました。

「一塁ベースを踏んでいたように見えた」「白線の上にボールが落ちた気がした」──選手の証言は生々しく、勝負の厳しさを物語っています。しかし彼らは判定を責めることなく、自分たちのプレーに集中し続けました。

その姿勢こそ、県岐阜商が「最後まで崩れないチーム」と称された理由でもあります。観客や取材陣も、勝敗を超えてこの試合を「忘れられない一戦」として心に刻んだのです。

1.県岐阜商という伝統校

創部100周年を迎えた歴史と実績

県岐阜商は、今年で野球部創部100周年を迎える全国屈指の伝統校です。甲子園での優勝4回、準優勝6回という輝かしい実績は、公立校でありながらも常に全国の舞台で存在感を示してきた証です。

岐阜県内では「県岐商」と呼ばれ、多くの高校球児が憧れる存在となっています。地元住民にとっても、県岐阜商が甲子園で戦う姿は夏の風物詩のひとつであり、応援席には毎年熱い声援が響き渡ります。

伝統に裏付けられた歴史は、選手たちに誇りと責任を与えてきました。

公立校ながら整った練習環境と地元選手中心のチーム編成

公立校と聞くと、私立に比べて練習設備が不十分なのでは、と想像する人もいるかもしれません。

しかし県岐阜商には室内練習場が完備されており、雨の日でも練習できる環境が整っています。さらに、ベンチ入り20人のうち18人が岐阜県出身という“地元密着型”のチーム編成も特徴です。

県外から有望選手を集める私立強豪とは異なり、県岐阜商は地元出身の選手たちが中心。

小学生のころから地元でプレーを続けてきた選手同士が、甲子園の大舞台で肩を並べる姿は、多くの県民にとって誇らしい光景となりました。

地域と深く結びついたこのチームカラーが、観客席の一体感を生み出しているのです。

名将から異色の監督・藤井潤作へと引き継がれた指導体制

県岐阜商を語るうえで欠かせないのが、監督交代のエピソードです。前任の鍛治舎巧監督は、熊本の秀岳館を率いて3度の甲子園ベスト4進出を果たした名将。

その指導を受けた世代が、現在の県岐阜商を支えています。そんな名将の後を継いだのは、普通の高校教諭である藤井潤作でした。

藤井監督は社会人野球を辞めた後、33歳で大学に通い直して教員免許を取得したという異色の経歴の持ち主です。

監督就任当初は「秋も春も県大会で準々決勝敗退」と結果を残せず、周囲からは「甲子園出場は厳しい」との声もありました。

しかし藤井の掲げる“公立校でも全国制覇を目指す”という信念が、やがて選手たちの心に浸透していきます。

名将から受け継いだ基盤と、新しい指導者の熱意。この二つが融合したことが、後の大番狂わせへとつながっていったのです。

2.異色の経歴を持つ藤井潤作監督

藤井潤作監督

33歳から大学へ通い教員免許を取得した背景

藤井潤作監督は、普通のエリート指導者とは異なる道を歩んできました。社会人野球チームでプレーを続けていた彼は、33歳でユニフォームを脱ぎ、大学に通い直して教員免許を取得します。そこには「公立校の監督になりたい」という強い思いがありました。

周囲からは「今さら大学に行くのか」と驚かれることもありましたが、藤井は夢を叶えるために迷わず挑戦しました。

その後、教員として学校に勤め、ついに県岐阜商という名門の監督に就任したのです。この“遅咲き”の挑戦が、選手たちにも大きな勇気を与えていました。

公立校で全国制覇を夢見る指導哲学

藤井監督には一貫した信念があります。それは「公立校でも全国で戦える」ということ。私立が選手を全国から集めるのに対し、公立校は基本的に地元出身の選手で戦わなければなりません。

だからこそ藤井は、選手に“楽しむこと”や“自分たちの野球を信じること”を何度も強調しました。

試合前のミーティングで「チャンピオンと試合ができることを楽しもう」と語った言葉は、その象徴といえます。

選手たちにとっては「監督が自分たちを信じている」という安心感につながり、緊張の中でも力を発揮できる原動力となっていました。

投手陣の怪我と継投の難しさに直面したチーム事情

ただ、藤井監督の挑戦は決して順風満帆ではありませんでした。シーズン中に、3年生の主力投手2人が相次いで怪我を負い、戦線を離脱してしまったのです。

本来ならエース級の投手を複数抱えて戦うはずが、急遽、捕手だった2年生・柴田蒼亮をエースに転向させるという苦しい選択を迫られました。

さらに継投の判断も難しく、1人の投手に頼りきるわけにはいかない状況。
それでも藤井監督は「早め早めの継投」を徹底し、選手の力を少しずつ引き出す戦術でチームをまとめました。

3回戦の明豊戦で登板した2年生・渡辺大雅が見事な投球を見せたのも、そうした柔軟な采配の結果です。

公立校という制約の中でも、工夫と信念で道を切り開こうとする姿勢が、県岐阜商の快進撃を支えていました。

3.横浜戦の大熱戦と波乱の内幕

渡辺大雅選手

2年生投手・渡辺大雅の快投と“想定外”の活躍

横浜高校との試合で、観客を驚かせたのは2年生投手・渡辺大雅の堂々としたピッチングでした。

岐阜大会では登板機会がなかった渡辺が、甲子園の大舞台でいきなり先発を任されるという“想定外”の展開。試合前夜、宿舎近くの銭湯で監督から登板を告げられた渡辺は、緊張を抱えながらも「ゆるい球で相手を惑わせよう」というアドバイスを胸にマウンドへ上がりました。

結果は見事な投球。球速は決して速くないものの、真っ直ぐがうまく散らばり、横浜打線は狙いを絞れません。キャッチャーの小鎗稜也は「相手が嫌がっているのが伝わった」と語るほどで、観客席も徐々に「この左腕ならいけるかもしれない」と熱気を帯びていきました。

エース不在のチームを救った渡辺の活躍は、公立校ならではの“思いがけないヒーロー誕生”の瞬間でもありました。

白熱する試合を左右した誤審疑惑と選手たちの証言

試合は終始緊張感に包まれ、判定を巡る場面でも大きな波乱がありました。6回表、横浜の攻撃でダブルプレーが成立したかに見えた場面では、一塁手の足がベースから離れたと判定されセーフに。その後のプレーで県岐阜商は失点します。

ベンチや内野手たちは「踏んでいたように見えた」と口をそろえましたが、誰一人として判定に執着せず、すぐに切り替えて次のプレーへ向かいました。

さらに、10回裏には1年生代打・丹羽駿太の打球がライト線際に落ち、「フェアかファウルか」で球場全体がざわめくシーンがありました。応援席は歓声を上げましたが、審判の判定はファウル。

丹羽自身も「白線の上に落ちたように見えた」と証言しましたが、ベンチに戻ると誰も判定を責めず「自分たちのプレーに集中しろ」という監督の教えを守り続けました。

この潔い姿勢こそ、公立校が大舞台で戦う強さの源だったといえます。

耐えてつかんだ「人生で最高の勝利」という瞬間

試合は延長11回まで続く激闘となりました。10回表に3点を勝ち越され、誰もが「ここまでか」と思ったその裏、急造キャッチャーの小鎗稜也が左中間を破る一打で同点に追いつきます。

観客席は総立ちとなり、アルプススタンドは地鳴りのような歓声に包まれました。


そして11回裏、2死一・三塁で迎えた打席に立ったのは4番・坂口路歩。横浜の度重なるタイム要求で集中力を試される中、真ん中高めの直球を完璧に捉え、レフトへ弾き返しました。

走者がホームへ返り、試合終了の瞬間、選手たちは抱き合い、観客も涙を流すほどの熱狂に包まれました。

選手たちは口々に「人生で最高の勝利」と語りました。数々の誤審や不利な流れを受けながらも、最後まで崩れなかった精神力。耐えて、耐えて、最後に笑った県岐阜商の姿は、多くの人の胸に深く刻まれたのです。

公立の雄・県岐阜商を破る!日大三が延長10回タイブレークで勝利、決勝の相手は沖縄尚学or山梨学院

https://twitter.com/takashif39/status/1958344284555595858

2025年8月21日、阪神甲子園球場で行われた第107回全国高校野球選手権大会・準決勝第1試合は、日大三(西東京)が県岐阜商(岐阜)を延長10回タイブレークの末に4-2で下し、14年ぶりの決勝進出を決めました。
試合は互いに譲らぬ展開となり、序盤から点を取り合う接戦。8回に日大三が追いつき、延長戦に突入すると、10回には近藤優樹のタイムリー、続く桜井春樹の適時打で勝ち越しに成功しました。県岐阜商も最後まで粘りましたが、あと一歩及ばず。
この結果、日大三は23日に行われる決勝で、沖縄尚学(沖縄)と山梨学院(山梨)の勝者と頂点をかけて対戦します。

https://twitter.com/senna0726/status/1958346849389306062

まとめ

県岐阜商の快進撃は、決して偶然ではありませんでした。伝統ある公立校としての誇り、異色の経歴を持つ藤井潤作監督の信念、そして選手たちの粘り強さがひとつになって生まれた結果です。

強豪・横浜高校を相手に繰り広げた延長戦は、誤審疑惑や数々の逆境が重なりながらも、最後まで集中を切らさず挑み続けた姿勢が光りました。
特別な才能を持った選手だけでなく、地元の仲間とともに積み重ねた努力が、大観衆の前で実を結んだ瞬間。これは「公立校でも全国で戦える」という藤井監督の信念を証明する試合でもありました。

観客の記憶に深く刻まれた「人生で最高の勝利」は、選手や監督にとって忘れられない財産となり、これからの県岐阜商の歩みにも大きな勇気を与え続けるでしょう。

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