NHK大河ドラマ『べらぼう』第26回──揺れる三人の心、蔦重・てい・歌麿の交錯

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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』を毎週楽しみに観ています。
第26回では、これまで「商いのため」と割り切っていた蔦重とていの関係に、思いがけない変化が訪れましたね。ていの涙と「よかったな……蔦重、よかった」の一言には、画面越しにも伝わる切なさがありました。

そしてもう一人、静かに心を揺らしていたのが歌麿。蔦重への想いは恋とも友情とも言い切れない、けれど確かに“特別”なもの。そんな彼の複雑な感情が、さりげない言葉や表情ににじんでいて…胸が締めつけられました。

この記事では、この回に描かれた三人それぞれの心の動きを、いち視聴者の目線でじっくりと振り返っていきたいと思います!

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目次

はじめに

蔦重とていの結婚とその背景

蔦重とていの結婚は、恋愛や家族の情愛というより、あくまで「商いのため」の実利的なものとしてスタートしました。

もともと夫婦の間に深い情愛はなく、蔦重自身も情に厚いというタイプではありませんでした。そんな二人の関係は、物語の中でじわじわと変化していきます。

とくに、第26回では、蔦重がていと一夜をともにした後、涙を浮かべながら「よかったな……蔦重、よかった」としみじみ語る場面が描かれ、視聴者の胸を打ちました。

これは、形式的な夫婦から「心の通う関係」へと移り変わる、重要な転機でもあります。

米の値上げがもたらした変化

この転機の背景にあるのが、世情の変化――具体的には米の値段の高騰です。

蔦重が生きる時代において、米の価格は庶民の生活や出版業界にも大きな影響を与える要素でした。

価格が上がれば人々の財布の紐は固くなり、洒落本や浮世絵といった娯楽の需要も落ち込むおそれがあります。

そんな状況を打破するため、蔦重は狂歌集「歳旦狂歌集」の出版を決意。

そこに歌麿を巻き込んだことが、結果的にていとの距離を縮める契機にもなりました。つまり、この経済的な変化が、人と人との感情にも波紋を広げていったのです。

1.蔦重とていの関係の変化

結婚のきっかけとその商業的な意味

蔦重とていの結婚は、感情や恋愛を抜きにした、いわば“契約”のようなものでした。

出版業を営む蔦重にとって、ていの存在は店の経営を支える重要なパートナー。

蔦屋の看板娘だったていとの結婚は、「信頼できる働き手を家に入れる」ことでもありました。

当初から情や憧れといった感情よりも、「一緒に店を盛り立てるため」という現実的な判断によるもので、当人たちもそれを割り切って受け入れていたのです。

しかし、生活をともにする中で、無言の気遣いや日々のやりとりを通じて、少しずつ空気が変わっていきます。ていが忙しい蔦重の体調をさりげなく気遣う場面や、言葉少なに支える姿勢が描かれるにつれ、視聴者の側でも「これはただの商いのためだけではないのでは?」と感じさせるものが増えていきました。

蔦重とていが初めて一夜を共にした夜

その変化が明確になったのが、第26回での一夜です。

初めて夫婦として同じ時間を過ごしたその晩、ていは涙を流しながら「よかったな……蔦重、よかった」と静かに呟きます。

この言葉には、長らく押し殺していた感情や、ようやく心を通わせられた安堵が込められているように感じられました。

一方の蔦重は、ていの涙の意味にまでは気づいていない様子で、どこか照れくさそうにしながらも「旦那様」と呼ばれたことに内心デレッと喜んでいるなど、まだまだ不器用なまま。

しかしその表情には、これまでにはなかった柔らかさや余裕がにじんでおり、二人の関係が確実に一歩前進したことを物語っていました。

母・つよの登場とその影響

そんな矢先に現れたのが、蔦重の母・つよです。

つよは自由奔放で毒舌もある人物ですが、ていの様子を一目で見抜き、「あの子、旦那のこと好きなんだね」と遠慮なく言い放ちます。

さらに、歌麿に対しても「歌はあの子の念者(思い人)なのかい?」と踏み込む一言を放ち、周囲の空気を一気にかき乱します。

この母の登場は、蔦重にとってもていにとっても、今まで向き合わずに済ませてきた感情を炙り出すきっかけとなりました。

蔦重が無自覚に他人の気持ちを受け流していたこと、ていが自分の気持ちにフタをしていたこと、それらが少しずつ動き出し、夫婦としての関係がようやく「始まり」を迎えたのです。

2.歌麿の蔦重への複雑な感情

歌麿の未解決の恋愛感情

歌麿が蔦重に抱く気持ちは、ただの仲間意識や師弟関係には収まりきらない、深くて複雑なものです。

染谷将太が語るように、歌麿は「子どものころから変わらない感情」を蔦重に持ち続けており、それは「一緒に何かを作りたい」「ずっとそばにいたい」といった強い執着とも言える感情です。

ただ、それを恋愛感情として明確に自覚していたわけではなく、むしろ無意識のうちに心を寄せていたという印象です。

この感情は、蔦重がていと関係を深めていくことで、初めて「失われるかもしれないもの」として浮き彫りになっていきます。

今まで当たり前だった距離感が変わることへの戸惑い、そして蔦重が他人と心を通わせる様子を目にしたときの、どうしようもない寂しさ。

歌麿の感情は、恋愛とも友情とも、家族ともつかない、言葉にしにくいけれど確かにそこにある「特別」な想いなのです。

「千代女」の名で描かれた挿絵

その想いの現れとして、歌麿は「歳旦狂歌集」の挿絵を“千代女”という女性名で描きました。

あえて女性の名前を使ったことには、「もし生まれ変われるなら女がいい」とつぶやいた彼の本心がにじんでいます。

これは単なる冗談ではなく、蔦重の隣にいる“てい”という女性の立場に、心のどこかで自分を重ねていた証拠とも言えるでしょう。

「俺に弟子がいるって感じでよ」という言い回しも、蔦重に自分の存在価値を認めてほしいという気持ちの裏返し。

男である自分には決して得られない、蔦重との親密な関係。だからこそ、絵の中だけでもその距離を埋めたかった――そんな切実な願いが感じられます。

歌麿の告白と蔦重の無自覚

歌麿が「生まれ変わんなら女がいい」と語った場面は、視聴者の間でも「実質的な告白ではないか」と話題になりました。

あまりにさりげなく、あまりに自然に放たれたその一言に、胸を締めつけられた人も多いのではないでしょうか。けれど、当の蔦重は相変わらず鈍感で、深い意味に気づくそぶりすら見せません。

こうした“すれ違い”が、かえって歌麿の気持ちを際立たせています。

ていに向ける蔦重の笑顔を見るたび、そこに自分が立てないもどかしさ、失恋にも似た感情が、彼の表情や態度にじわじわとにじんでいくのです。

そしてそれは、恋とは少し違う、しかし恋よりも強い「絆の切なさ」を物語っているようにも見えます。

3.蔦重と歌麿の関係性

蔦重と歌麿の絆と複雑な感情

蔦重と歌麿の関係は、単なる仕事仲間でも、家族でも、親友でも説明しきれない、特別なものでした。

もともと血縁ではないものの、歌麿は蔦重を「義兄さん」と呼び、長年にわたり精神的な支えを得てきた存在です。

蔦重もまた、才能ある絵師としての歌麿を信頼し、自身の出版活動に欠かせないパートナーとして常にそばに置いてきました。

しかしその「信頼」と「依存」が、時に無意識のすれ違いを生んでいきます。

蔦重にとってはあくまで「仲間」だった距離感も、歌麿にとってはより親密で感情を伴ったものだったため、ていの登場によってそのバランスが崩れてしまったのです。

蔦重の何気ない一言や態度が、歌麿の心に思いがけず波紋を広げる──そんな場面が物語の随所に描かれています。

蔦重の成長と歌麿の心境

一方で、蔦重自身も変わりつつあります。もともと人の気持ちに鈍感で、自分のやりたいことを優先してきた彼が、ていとの関係を通じて「誰かと共に生きる」ということに初めて向き合い始めたのです。

それは同時に、蔦重が「誰かの感情に応える」という覚悟を持ち始めた証でもあります。

そんな変化を、歌麿はそばで複雑な思いで見守っています。自分には向けられなかったまなざしを、ていが受け取っていること。

それに対する嫉妬、戸惑い、そしてどこか祝福にも似た感情。染谷将太が語るように、「蔦重が得られる幸せを喜ばしく思う一方で、それが自分には届かないものだと痛感してしまう」――その揺れ動く心こそが、歌麿という人物の人間らしさを浮き彫りにしています。

歌麿の未来と自分との向き合い方

蔦重との関係に変化が訪れるなかで、歌麿自身もまた、自分という存在に向き合う時間が増えていきます。染谷は「蔦重と向き合うことは、自分と向き合うこと」と語りましたが、まさにその通り。長年“蔦重のため”に動いてきた彼が、「自分は何者なのか」「自分の絵は誰のためにあるのか」と問い直す姿は、視聴者に深い共感を呼びます。

狂歌集の挿絵に女性名を使ったことも含め、歌麿は今、「自己表現」と「自己理解」の境界線を探している最中なのかもしれません。

もはや蔦重の隣に立てないと悟った今、彼が絵師として、そして一人の人間としてどんな道を選ぶのか。その未来は、静かに、しかし確実に動き始めています。

まとめ

蔦重とていの関係は、もともと打算的な結婚から始まったものでしたが、互いを思いやる時間の中で少しずつ愛情が育まれ、ようやく心が通い始めました。その様子は温かく、見ている側にもじんわりと沁みてくるものでした。

しかしその裏で、静かに心を揺らしていたのが歌麿です。

ていとの関係が深まっていく蔦重を見つめながら、どうすることもできずにいる彼の姿は、まさに“失恋”のようでもあり、“人生の分岐点”に立たされたようでもありました。

そして視聴者として忘れてはならないのが、史実におけるこの二人の運命です。

喜多川歌麿は、蔦屋重三郎のもとで華々しい活躍を見せた後、やがてその蔦重と離れざるを得なくなります。

蔦重が処罰を受け出版界から姿を消し、歌麿もまた他の版元へと活動の場を移していく――それは、制度や時代の波に引き裂かれたとも言える、避けられない“別れ”でした。

だからこそ、今回描かれた「いつもの日常の中にある微妙な距離感」や「すれ違い」が、よりいっそう意味深に見えてきます。

今はまだ一緒に笑い、作品を作り上げている二人が、この先どうなってしまうのか…。歌麿の「生まれ変わるなら女がいい」という言葉や、無言で見せる切ない表情は、まるでその“別れの未来”を彼自身が予感しているかのようです。

大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』は、この史実に基づいた「別れ」や「終わり」までも丁寧に描いてくれるのではないか──そう期待せずにはいられません。
それぞれの人生が交差した“奇跡の時間”を、視聴者として最後まで見届けたいと思います!

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