「海に眠るダイヤモンド」第6話考察 屋上庭園 幸せな日々 

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「海に眠るダイヤモンド」第6話は幸せな時代でした。

進平とリナ、賢将と百合子、そして鉄平と朝子。それぞれが互いの想いに気付き愛を育て始めました。

そんな幸せな端島の時代から現代のいづみが抱える想いへと、どのようにつながっていくのでしょうか?

目次

朝子の覚醒

以前、朝子は食堂の娘で経営に明るいとの考察に疑問符を付けていましたが、しっかり者の朝子ちゃんの片鱗が見える回でした。

花の好きな朝子が屋上庭園を作ることで、植物の生育に詳しくなり、のちのIKEGAYA株式会社に通じる手腕が見えてきました。

現在パートで、いづみ(朝子)は持続可能に見えない案を目先だけの利益にとらわれてはいけないと拒否します。

端島の屋上農園も、実際にはドラマでも描かれた雨漏りなどがあったり、塩害によって作物の収穫は2回が限度だったようです。

いづみがすぐにダメにならない持続できる庭園をモットーにするのは、端島のときの経験があったかもしれませんね。

屋上農園は閉園しましたが、庭園としては残り島の人々の憩いの場となったそうなので、朝子ちゃんが望んでいたコスモス畑も出来たかもしれませんね。水田も作られたそうです。

端島の歴史から見るドラマの展開

端島の緑化運動がすすめられたのは1963年からだそうです。

島内での生活では、1963年に「緑化運動」が活発化します。当時、建物の建設ラッシュにより、軍艦島は植物などの緑が多くありませんでした。「緑なき島」に緑を求める住民の無意識の渇望から、日本初の屋上庭園が作られるなど島内の緑化が盛んになります。屋上庭園は、30号棟の建設以降、ほとんどの建物に作られていきます。

~世界遺産を巡る~ 軍艦島ガイドより

ドラマでは鉄平の父、一平が炭鉱長の辰雄に語っていますが、前回描かれた端島炭坑労働組合の結成や労働各法の成立によって労働基準が向上し、賃金が上昇、炭坑の稼働率が下がって労働者の余暇が増えるなど労働条件が改善されました。

これにより端島は世界最大の人口密度に膨れ上がり、炭坑の閉山が進む1960年代にあっても繁栄を極めていたようです。

九片治層坑道の自然発火事件

しかし、主要エネルギーが石炭から石油へと移行する時代の流れには逆らえませんでした。

第7話の予告を見ると、1964年の「九片治層坑道の自然発火事件」が描かれるようですが、この事件が端島閉山の序章となります。

九片治層坑道の自然発火事件は、昭和39年(1964年)夏、坑内で自然発火が起こり海水による消火活動が行われました。しかし、鎮火したと思って土のうによる採炭現場の密封作業を行っていたところ、十数時間後に再び白煙があがり爆発事故が起こりました。

作業を行っていた10人が負傷し、内一人が死亡しています。全員、病院に運ばれましたが、その後、コンクリートブロックで再び密封作業をしようとしていたところ、再びガス燃焼発火が起こり21名が負傷する大事故となりました。

結局、坑内の採掘現場を諦め、海水を入れて水没することで鎮火させることになります。

この事故で炭坑の規模が縮小され、人口も急激に減少していきます。

進平に死亡フラグ?

いづみ(朝子)が鉄平と結婚していなかったことから、玲央は進平とリナの孫ではないかと考察しました。

進平とリナの赤ちゃんが生まれたのは1964年頃と考えられます。自然発火事件の前ですね。

リナが赤ちゃんを連れて島を離れたのが1965年。

第7話の予告で進平が炭坑に入っていく様子は、まさに死亡フラグ!!

荒木家が進平の子を手放すはずはないですが、リナには追われている過去があることから見ると、荒木家に迷惑をかけないために密かに島を離れることは考えられますね。

進平の子どもの行く末は

玲央が進平のリナの孫だと仮定すると、赤子は玲央の顔も知らない父親になります。

「端島ならば生きていける」進平はそう言っていましたが、進平が生きていようがどうしようが、いずれ端島を離れることになります。

リナは戸籍を取ることが出来ないなら、進平と婚姻することも出来ず、子どもは無戸籍になってしまいます。

進平は前の妻と離婚していない(死亡届を出していない)なら、リナは前の妻となって生きる方法もありそうです。端島を出たなら、名前が変わっても知っている人は誰もいないのですから。

辛い想像ですが、二人の子どもには過酷な運命が待っていそうです。

もし、そうなら鉄平は放って置けるでしょうか?

鉄平はどこに?

当初は、鉄平が事故で亡くなったのかと思いましたが、いづみは「どこにいるのか分からない」と言いました。

朝子、百合子、賢将が映る写真は閉山のときの写真のようでした。

そこに鉄平はいない・・・。

けれど、爆発事故は1964年ですから、閉山の1974年までには、まだ10年あります。

「端島が終わる」と感じた鉄平は何をするのか?

鉄平のノートには端島に対する想いが書かれていると思われます。

口下手な鉄平と朝子。突然いなくなった鉄平の想いをノートを手に入れたことで知ったとしたら。

50年経って、鉄平の想いを朝子が叶えるために動き出したのかもしれません。

鉄平のノートを持っていたのは誰なのか?

まだまだ謎は深まりますね。

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