「不法滞在者ゼロプラン」とは?日弁連が警鐘を鳴らす“排除の論理”と人権の課題

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2025年5月に出入国在留管理庁が打ち出した「不法滞在者ゼロプラン」は、外国人の退去強化を目的とした新たな入管政策として注目を集めています。

しかし、この政策に対して日本弁護士連合会(日弁連)は「保護されるべき外国人までも排除しかねない」と強く反対を表明。

難民認定制度の運用や、DV・人身売買の被害者を含む非正規滞在者への対応に関して、深刻な人権問題が指摘されています。

本記事では、ゼロプランの内容とその背景、そして日弁連の主張をもとに、私たちが今考えるべき“共生社会”のあり方について考察します。

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目次

はじめに

日本弁護士連合会が出入国在留管理庁の「不法滞在者ゼロプラン」に反対声明を発表

2024年5月に発表された「不法滞在者ゼロプラン」は、日本の入管政策を大きく変えるものとして注目されています。

このプランは、いわゆる「ルールを守らない外国人」によって日本の安全や安心が脅かされているという前提のもと、外国人の退去を強化する方針を打ち出しています。

これに対し、日本弁護士連合会(日弁連)は7月22日に反対の会長声明を出しました。

声明では、非正規滞在者の中には人身売買やDV(家庭内暴力)など、自分の責任ではない理由で在留資格を失っている人もいることを強調しています。

背景にある「安全・安心」への懸念と人権への配慮

この政策の背景には、「安全・安心」という言葉が繰り返し使われていますが、それが本当に外国人全体への不信や偏見につながっていないかが問われています。

たとえば、日本で生まれ育ち、日本語を話し、社会に溶け込んで暮らしている外国人の子どもたちが、突然「不法滞在者」として強制的に送還されるケースも起こりうるのです。

また、難民認定についても、空港での申請が認められず即座に収容・不認定とされた後、裁判で難民と認められた例があることから、制度の運用が適切かどうかも議論の的になっています。

日弁連はこうした実態をふまえ、「人権を尊重しながら、多様な背景を持つ人たちと共に生きる社会をめざすべきだ」と訴えています。

1.ゼロプランの概要と狙い

電子渡航認証制度の導入と難民審査の迅速化

ゼロプランの柱のひとつが、電子渡航認証制度の導入です。

これは、外国人が日本に入国する前に、インターネットを通じて事前に審査を受ける仕組みで、不審な人物を水際でブロックする狙いがあります。

アメリカの「ESTA」や韓国の「K-ETA」と似た制度で、日本政府も早期の実施を目指しています。

もう一つの柱が、難民認定申請の審査をより早く進めることです。

現在、日本では難民申請から結果が出るまでに長い時間がかかることが問題となっています。

そのため、処理の迅速化によって「制度の濫用を防ぐ」としています。

しかし、その一方で、申請者が十分な証拠や主張を準備できないまま短期間で不認定となるケースが増えるのではないか、という懸念の声も上がっています。

国費送還の促進と退去強制確定者数の削減目標

ゼロプランでは、退去命令が出た外国人のうち、実際に出国していない人を減らすことを明確な目標としています。

具体的には、2030年までに退去強制が確定した外国人数を半分にするという目標を掲げています。そのために、護送官が付き添って国外に送還する「国費送還」の仕組みを強化する方針です。

しかし、送還される側の中には、病気を抱えていたり、祖国に戻れば命の危険があるといった事情を抱える人もいます。

こうした人たちにも一律に送還を促すことが、人道的に許されるのかどうかは慎重な議論が必要です。

「国民の安全・安心」を掲げる背景

ゼロプランの根底には、「日本人の安全・安心を守る」という目的があります。

最近では、外国人が関わる犯罪が大きく報道されることも多く、それによって「外国人=危険」という印象が強まっているのも事実です。

しかし、警察の統計を見ると、日本国内の犯罪件数の大部分は日本人によるものです。

ごく一部の外国人による犯罪を取り上げて全体像として語ることは、誤解や偏見につながります。

「安全・安心」の名のもとに、すべての外国人を疑いの目で見るような社会にならないよう、丁寧な情報発信と制度設計が求められます。

2.日弁連が懸念する人権問題

外国人への偏見と差別を助長する可能性

ゼロプランの最大の懸念点として、日弁連が強調しているのが「偏見や差別の助長」です。

「ルールを守らない外国人」というあいまいな表現が使われることで、まじめに暮らしている外国人まで一括りにされる恐れがあります。

たとえば、日本で子育てをしながら働いている外国人労働者が、職場や地域で突然「不法滞在なのでは」と疑われたり、子どもが学校で「帰れ」と言われるようなケースも報告されています。

こうした言動は、制度というよりも社会の空気によって生まれてしまう偏見です。

政策がその空気を後押しする形になれば、多文化共生を掲げてきたこれまでの歩みに逆行しかねません。

日本にいる外国人を「敵」や「リスク」として扱うような風潮は、社会全体にとっても望ましいものではないでしょう。

難民認定制度の運用とその限界

もう一つ、日弁連が強く問題視しているのが難民認定制度のあり方です。

日本では難民認定率が非常に低く、2023年には約1万人の申請者のうち認定されたのはわずか256人(約2.6%)にとどまりました。

制度上は、難民であることを申請者本人が自ら証明しなければならず、言葉の壁や証拠の不十分さから、正当に保護されるべき人が「誤って不認定」となるリスクが常にあります。

特に、空港での申請者が十分な説明をできないまま即日収容され、1か月足らずで不認定とされたケースが問題になっています。

難民とは、迫害を逃れて命からがら日本に来た人も少なくありません。

そうした人々に、落ち着いて状況を話す時間や支援が与えられない制度運用は、人権の観点からも疑問が残ります。

司法判断で難民と認定された事例の存在

実際に、入管では不認定とされた人が、後に裁判で「難民」として認定されたケースもあります。

2024年には、3回目の申請でも不認定とされた外国人が裁判で認定を勝ち取った事例が2件ありました。つまり、申請を繰り返す中でようやく本当の事情が明らかになることもあるのです。

ゼロプランでは、3回目以降の申請を「濫用」とみなす姿勢が見られますが、それによって命の危険にある人を見過ごしてしまう危険性があります。

形式的な回数や手続きのスピードだけで判断するのではなく、一人ひとりの背景や状況をていねいに見ていく必要があると、日弁連は警鐘を鳴らしています。

3.多様な非正規滞在者とその実情

DV被害者や人身売買の被害者などの特殊な事情

非正規滞在者の中には、本人の意思や過失とは無関係に、やむを得ない事情で在留資格を失ってしまった人たちがいます。

たとえば、外国人女性が日本人配偶者から長期間にわたってDV(家庭内暴力)を受けた結果、逃げざるを得ず、配偶者ビザを失ったケースがあります。

また、人身売買の被害者として日本に連れてこられ、働かされていた人が、やっとの思いで逃げ出したが、滞在資格がないという理由で収容されたという実例も報告されています。

このような人たちは、制度の「網」からこぼれ落ちた存在です。単に「不法滞在者」とひとまとめにされることは、こうした背景を無視した不当な扱いになりかねません。

日本で根付いた非正規滞在者の実態

さらに、日本で生まれ育った子どもたちの中にも、親の在留資格が切れたことで「非正規滞在者」とされる子がいます。

たとえば、5歳のときに日本に連れてこられ、日本の小学校・中学校に通い、日本語しか話せない10代の子どもが、ある日突然「不法滞在者」として強制送還されそうになった事例もあります。

彼らにとって日本は「自分の国」であり、母国の言葉も文化もほとんど知りません。

このような実態を知ると、「非正規」という言葉だけで片づけてしまうことの危うさが見えてきます。

国際人権法に基づく在留資格の正規化の必要性

日弁連は、こうした非正規滞在者に対しては、国際人権法の観点から人道的な対応をすべきだと訴えています。

つまり、個別の事情を丁寧に確認し、在留を「正規化」する仕組みが必要だということです。

これは特別なことではなく、カナダやドイツなどでも「在留特例措置」や「人道的在留許可」といった制度があります。

日本でもすでに「在留特別許可」という制度はありますが、その運用が厳格で、救済の網が十分とは言えません。

法律や制度は画一的でも、人生の事情は人それぞれです。

誰かの過ちではなく、社会や制度の不備によって「非正規」とされてしまった人たちに、もう一度生活の場を提供することは、人権を守る社会にとって当然の姿勢だと言えるでしょう。

まとめ

出入国在留管理庁が掲げた「不法滞在者ゼロプラン」は、「安全・安心」という言葉のもとで進められていますが、その実態は、多くの課題と人権上の懸念を含んでいます。

日弁連が指摘するように、この政策によって、DVや人身売買の被害者、日本社会に根付いて暮らしてきた人々、そして難民認定を必要としている人たちが一括りに「排除の対象」とされることは、共生社会に向けた歩みに逆行するものです。

社会の安全を守ることは重要ですが、それはすべての人の人権を守ることと矛盾するものではありません。

一人ひとりの事情に目を向け、柔軟で人道的な制度運用が求められています。外国人を「問題」ではなく、「共に生きる存在」として捉えること──それこそが、多様性と共生の社会に向けた第一歩ではないでしょうか。

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