「海に眠るダイヤモンド」第4話考察 精霊流し

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日曜ドラマ「海に眠るダイヤモンド」第4話が放送されました。

塚原あゆ子監督はインタビューで「いづみが誰なのかは意外と待たせることなくわかるかも…」と言っていましたが。

第4話の感想と考察をしています。

目次

いづみは誰なのか

昔の活気と現代の悩みという対比がありますが、いづみがどんな人生をおくってきたか、どんなものを抱えているのかを自身が語ることで、その歴史というのはつながっていっているとわかる展開になっています。いづみさんの中に降り積もっている愛と友情と大きな事件をぜひドラマを通して一緒に体感していただきたいです」

塚原あゆ子監督インタビューより

「歴史はつながっている」それはいづみと玲央のことなのか?

塚原あゆ子監督は「意外と待たせることなくわかるかも」と言っていますが、4話で百合子が「女社長になって」と言い、いづみのシーンに繋がるくらいで、今まで通りに思わせぶりですね。

百合子と朝子

正面から見た崩壊した浦上天主堂。爆心地から500メートル=1945年8月、松本栄一撮影

百合子の過去が描かれました。

やはり百合子は1945年8月9日、長崎の浦上天主堂で被爆していたようです。姉は即死、母親は重いやけどを負い原爆症に苦しんでいました。百合子もまた放射能の影響がいつ自分に表れるか恐れていると。

百合子が朝子に意地悪をするのは、あの日、長崎に行く事になったのは朝子のせいだから・・・。それで朝子を恨むのはお門違い、逆恨みだと分かっているから百合子は苛立ってしまう。百合子の気持ちもわかるし、朝子も大事だから鉄平も賢将も朝子に言えずにいる。

朝子は何も知らない・・・。

本当にそうなのかな?

子どものときはそうかも知れないけれど、あの日見た火の玉が何だったのか。百合子の姉が戻ってこないのは何故か。百合子の母親が引きこもってしまったのは何故か。

端島しか知らない可憐で可愛い朝子。だけど何も気づかないなんてあるだろうか?

端島は一つの共同体だから、百合子の父が母親の葬儀に「娘のこともあるので、端島の中だけで内密に」と語っていることから、娘の百合子が被爆者だということは公にしていないのかもしれない。

百合子は幸いと言っていいか分からないけれど、目に見えるケロイドは負っていない。当時、その見た目から、また原爆症から被爆者への言われない差別があったのも事実です。

また、端島のヒエラルキーでは朝子は最下層に属しています。

台風が来れば真っ先に水害に合う。戦後の炭鉱夫の給料は良かったようなので、以前描かれていたように端島では電化製品が溢れていたけれど、朝子の家ではテレビも買えない。欲しかったワンピースも買えないし、着て行くところもない。「食堂の朝子」は我慢することに慣れてしまった。

百合子の許し

長い苦しみから開放されて百合子の母親が亡くなりました。

なぜ、鉄平はそれを朝子に告げないのか?長崎の被爆が原因で白血病を発症して亡くなったと言えないから?

キリスト教信者だった百合子の母親は「博愛精神」を教えました。「汝の隣人を愛せよ」と。

「神なんかいない!!」と台風の日に放り投げたペンダントを奇跡的に賢将が拾って百合子の手に戻ります。百合子は母への思いが走馬灯のように駆け巡り号泣します。

そして朝子の元に今までの意地悪を詫びに行きます。

浴衣を着付けながら朝子に「許して、私も許す」この許すは朝子に対して逆恨みをしていた自分を許すという意味ではないでしょうか。

鐘楼流し

長崎では鐘楼流しが有名ですね。

私も十数年前、子どもたちを連れて夏休みに長崎旅行をした時、鐘楼流しを体験しました。

さだまさしの「鐘楼流し」のイメージで、厳かな盆のおくりだと思っていたのですが、人々が耳栓を買っているのにびっくりしました。街中で爆竹が鳴り響く賑やかな祭りでした。

その日、ちょうど長崎に行く前に、端島を見ました。道を曲がったとたん目に飛び込んできた軍艦島に興奮したのを今でも覚えています。

戦争の傷跡

戦後まだ十数年、日本全国のお盆には戦死者を弔って多くの灯籠が流されました。

鉄平の父親が「あいつの家は誰も戦争で子どもを亡くしていない」と賢将の父親をなじったのも逆恨みですね。

出兵を両手を上げて送り出した。あの時代だからしょうがないと諦めてみても、心の中に積もっていく悲しみは癒えない。

「だからこそ、同じ過ちを繰り返すな」そんな思いがこもったお話でした。

波乱含みの第5話へ

リナは進平に秘密を見られて端島を出ることを決意していたようですが、鐘楼流しの夜、進平に「来年、返さなきゃない」と言われて思いとどまったようですね。

しかし、リナを追う影が端島にやってきそう。

また、炭鉱では労働争議が。

三井三池争議などの労働争議が活発だったのは、1959年から1960年。端島は他の炭鉱に比べて労働争議は緩やかだったそうですが、時代の流れは端島にも影響していたでしょう。

大きな事件とは?端島炭坑が閉山へと向かうあの事故でしょうか?

次回はいづみと玲央に血液関係があるのかがわかるようなので、とうとういづみの正体が判明するのか?

楽しみに待ちましょう。

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