地下鉄サリン事件から30年、フジテレビにてこの事件がドキュメンタリードラマとして放送されることが分かりました。
事件から30年経って、知らない世代も多くなりましたが、風化させてはいけない衝撃のテロ事件です。
ドラマの概要とモデルとなった医師を紹介します。
地下鉄サリン事件とは?
地下鉄サリン事件は、宗教団体・オウム真理教の信者らにより東京地下鉄(現・東京メトロ)の車内に神経ガスのサリンが散布され、乗客及び職員、さらには救助にあたった人々も巻き込み、13人が死亡、6000人を超す死傷者の被害者を出した、世界的にも類を見ない大都市圏における化学兵器を用いた無差別テロ事件です。
地下鉄サリン事件発生直後から現場で対応に当たっていた警視庁職員の無線指令音声の記録。
この動画は2015年、地下鉄サリン事件から20年の年に当時の音声データが発見され、公開されました。事件の全容が明らかになるにつれて、緊迫する現場の模様が残されています。
【地下鉄サリン事件発生直後の警察無線交信記録】※警視庁提供
1995年3月20日、首都・東京の地下鉄で、世界で初めて
化学兵器・サリンによる無差別殺人テロが発生しました。
霞が関を中心に通勤ラッシュの時間帯を狙ったこの犯行は、
13人が死亡、6000人を超す死傷者を出し、国内外に大きな衝撃を与えました。麻原彰晃(本名、松本智津夫死刑囚)を教祖とするオウム真理教が
ニコニコ動画より
引き起こした事件から20年目となる2015年1月、
警視庁の倉庫に保管されていたある1本のテープが公開されました。
それには事件発生直後、懸命に乗客、駅員らの救助活動や捜査を続ける
警察官らによる生々しい無線の交信記録が収められています。
陸上自衛隊、東京消防庁及び警視庁による地下鉄における除染作業の様子
地下鉄サリン事件をドキュメンタリードラマ化
フジテレビで地下鉄サリン事件を題材にしたドキュメンタリードラマが放送されることが分かりました。
1995年3月20日、大都市東京で起きた化学兵器サリンによる無差別テロ。その時、命をつなぐために懸命に救助にあたった人々がいました。
タイトルは『1995~地下鉄サリン事件30年 救命現場の声~』
3月21日21:00~22:52放送予定
本作は、30年前の1995年3月20日(月)に発生した「地下鉄サリン事件」を題材にしたドキュメンタリードラマ。事件発生から30年の年月を経て、あのとき何が起こっていたのか、そして自らの命も危険にさらされる中で懸命に救助にあたった者たちの姿を救命ドラマとして描く。
「地下鉄サリン事件」とは、日本の首都・東京で発生した化学テロ事件。地下鉄丸ノ内線、日比谷線、千代田線の車内で神経ガス・サリンが散布され、死者14人、重軽傷者は約6000人におよび、化学兵器が一般市民に使われた初の事件として世界に衝撃を与えた。
ラッシュアワーの時間帯にサリンがまかれパニックに陥った東京。駅や病院では、一人でも多くの命を救うため、懸命な救命救助活動が行われていた。世紀の大事件の裏側にあった一つ一つの“決死の献身”。それが積み重なり、多くの命が救われていたのだ。その壮絶なパニックのさなかの“命のリレー”を、30年間に渡る独自取材に基づきドラマ化し、救命救急ドラマとして描く。
フジテレビ公式サイトより
救命救急センター長・剣木達彦役 津田健次郎

1971年6月11日生 大阪府出身
声優としても活躍している津田健次郎さんは、初のドラマ主演だそうです。
病院の救命救急センター長である剣木達彦(つるぎ・たつひこ)を演じます。
「このドラマのお話を聞いたとき、とても緊張感がありました。当時、事件があった際に僕も丸ノ内線沿線に住んでおりました。養成所時代だったのですが、朝稽古場に行こうと思ったら駅が閉鎖されていて、テレビを見ていなかったので何が起きたのかすぐにはわかりませんでした。その後すごい事件が起こっているということを知り、とても衝撃的な事件で驚いたことを覚えています。それから30年がたった現在、この作品で主演を務めるということに緊張感が走りました。こういう機会に恵まれてとても光栄に思っております」
津田健次郎コメント
看護師・星野奈緒役 桜井日奈子

1997年4月2日生 岡山県出身
病院の看護師である星野奈緒(ほしの・なお)は、当時の状況を取材する中で医師ら関係者の証言をもとに描かれたキャラクターです。
私が生まれたのは地下鉄サリン事件後なので、このお話をいただくまで事件当時の事を深く知らずにいました。調べるほど、悲惨で、残酷で、とても胸が苦しくなるような事件で生半可な気持ちでは務まらない、覚悟を持って向き合うべき作品だと思いました。
桜井日奈子コメント
営団地下鉄(現:東京メトロ)職員・日比谷線の運転士・園田直紀役 泉澤祐希

1993年6月11日生 千葉県出身
サリンがまかれた車両を運転していた運転士で、情報が錯綜し、サリンだと分からない中で水たまりのようなサリンを目の前に乗客を車両から運び出した。自らの命の危険がある中での救助活動は結果として多くの命を救います。
このお話をいただいた時に、中途半端な気持ちでは参加できないなと思いました。事件当時、私は1歳だったので記憶はありませんが、後にニュースやドラマなどで、この様な悲惨な事件が起こっていた事を知りました。『1995~地下鉄サリン事件30年 救命現場の声~』では、事件が起きた車両の運転士・園田役を演じさせていただきます。事件発生時、現場で正体不明の何かに立ち向かう一人です。どのようなことが起きていたのか、緊迫感を伝えられればと思います。
泉澤祐希コメント
救命救急センター長・剣木達彦のモデルは?
ドラマでは津田健次郎が演じる病院の救命救急センター長である剣木達彦(つるぎ・たつひこ)には、実在の医師のモデルがあるそうです。
日本の窮地に、要請があった患者全員の受け入れを決断し、患者の救急救命対応に当たったり、原因がサリンだと分からないギリギリの状況で、治療薬・PAMの投与を決断した。
とあリます。
読売オンラインの地下鉄サリン30年『【証言 インタビュー全文】押し寄せた640人、「サリンの確証ない」それでも解毒剤投与を決断…聖路加国際病院・石松伸一院長』によると
病院には640人の患者が押し寄せたそうです。騒然とする中、「サリンの確証ない」それでも解毒剤投与を決断したのは、聖路加国際病院・石松伸一院長なので、ドラマのモデルだと思います。
聖路加国際病院・石松伸一院長

病院には午前10時頃、前年に松本サリン事件を経験した信州大学病院から、猛毒の神経ガス・サリンではないかとの情報がもたらされた。自衛隊中央病院から、サリンには解毒剤「パム」が有効と伝えられた。
サリンと言われても、本当にそうかどうかわかりません。あの朝、救急部には私も含めて4人の医師がいましたが、誰も確証を持てませんでした。
当時35歳の私が、治療の判断や指示を下さなければならない立場でした。パムを使うことで、かえって症状が重くなる可能性も考えられます。「症状が悪化し、命が失われてしまった場合、はたしてその責任を自分は負えるのか」と 躊躇 しました。
考えた末、集中治療室(ICU)に入っている重症者からパムを投与しました。ICUであれば、医療スタッフが片時も離れずついているので、仮に悪化してもすぐ対応できると判断したのです。
まもなく、若手医師から「パムが効きましたよ。けいれんが止まりました」と聞かされ、 安堵 しました。病院にはあの日だけで640人もの被害者が来院し、女性2人が亡くなりました。
読売新聞オンライン 石松伸一院長インタビューより
石松伸一院長は、当時は情報が錯綜していたが、30年たった今は患者の受け入れ具合や症状に関する情報共有も進んでおり、同様の事件が起きた場合も対処できるだろう、しかし、心配なのはSNSなどで間違った情報が流れることだと語っています。
そして、30年たった今も被害者の存在は置き去りにされてきたと感じていると、被害の 全貌
はいまだに分かっおらず、多くの死傷者が出たにも関わらずリカバリー・サポート・センターで連絡が取れる人は1000人程度。誰も追跡調査ができていなく、事件が風化しつつあると。
そして、医療関係者に問いかけるそうです。
「もしあす朝、同じ事件が起こったら、一人でも多くの命を救えるのか。我々は二次被害に遭わず、正しい治療ができるのか」。過去の事例からの教訓を生かしていきたいです。
読売新聞オンライン 石松伸一院長インタビューより
事件を後世に語り継ぐために著作も出されています。

まとめ
衝撃的な大都市の無差別テロから30年も経ったのですね。
オウム真理教は名前を変えて、今でも麻原彰晃を尊師として活動を続けているそうです。
30年経っても、亡くなった方はもとより被害者やその家族の苦痛は続いています。
今回、ドキュメンタリードラマとして当時の救急救命の現場が描かれるそうです。
主演の津田健次郎さん他、キャストの皆さんは身の引き締まる思いだと語っています。
救命にあたった医師のモデルとなった石松伸一院長も語っているように、事件を風化させることなく、教訓として語り継がねければならないですね。
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