神戸市立王子動物園で長年愛されてきたジャイアントパンダ「タンタン」。
その可愛らしい姿は、震災から立ち上がる神戸市民にとって、希望の象徴でもありました。
2023年に28歳で天寿を全うしたタンタンは、2025年6月、中国へと帰国。
生涯を終えた後も「命の証」として剥製と骨格標本となり、多くの学びと感動を与え続けています。
本記事では、タンタンの誕生から神戸での暮らし、そして帰国までの軌跡をわかりやすく振り返ります。
はじめに
神戸で愛されたパンダ「タンタン」とは
神戸市立王子動物園にかつて暮らしていたジャイアントパンダ「タンタン」。
その名を聞けば、優しい目元とのんびりとした姿を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
タンタンは1995年、中国・四川省にあるジャイアントパンダ保護研究センターで誕生し、2000年に日中共同の保護研究の一環として来日しました。
神戸での生活は20年以上にもわたり、その間、多くの来園者に笑顔と癒しを届けてきました。
特に、阪神・淡路大震災の復興期に来園したことから、市民にとっては「心の支え」として特別な存在となり、「神戸のお嬢さま」という愛称でも親しまれてきました。
日本と中国の架け橋となった存在
タンタンの来日は、ただの動物の貸与ではなく、国際的な協力の象徴でもありました。
日本と中国の間で取り決められた共同研究によって、飼育や治療、繁殖に関する多くの貴重な知見がもたらされました。
また、タンタンの存在は、日中両国の友好関係を象徴する存在として、多くの人々の記憶に刻まれています。
そしてその役割は、2023年の死去、そして2025年の標本としての帰国という形でも続いています。
タンタンの生涯は、一頭のパンダがいかに人の心を動かし、国と国をつなぐことができるかを示す、かけがえのない物語なのです。
1.タンタンの歩みと神戸での役割
2018年8月11日、初めて #タンタン に会いに行った日。夜7時まで開いているトワイライトZOOの日で、この日のために用意された氷のケーキを大事そうに抱えて食べていた姿がとっても可愛らしかった。逆光のミストで妙に神々しく見えたっけ。#王子動物園 #タンタンありがとう pic.twitter.com/KyyOhEenOa
— ぷるみえ (@CMucay) April 9, 2024
1995年に中国で誕生、2000年に王子動物園へ来園
タンタンが生まれたのは1995年9月、中国四川省にある「中国ジャイアントパンダ保護研究センター」です。
緑豊かな自然に囲まれたこの施設は、パンダの繁殖や保護に力を入れている世界有数の研究拠点のひとつです。
そんなタンタンが2000年、日本へと旅立つことになりました。
目的は、日本と中国が共同で進めるジャイアントパンダの保護研究への協力です。
タンタンの新たな住まいとなったのは、兵庫県にある神戸市立王子動物園でした。海外で暮らすパンダの中でも、単独で飼育されていたタンタンは特別な存在でした。
「神戸のお嬢さま」として市民に親しまれる
タンタンが神戸にやって来た当時、街にはまだ阪神・淡路大震災の傷跡が色濃く残っていました。
そんな中、ころんとした丸い体と大きな瞳を持つタンタンは、来園者たちにやすらぎをもたらしました。
子どもからお年寄りまで、誰からも愛され、「神戸のお嬢さま」と呼ばれるようになったのも自然な流れだったと言えます。
誕生日のたびに特製ケーキが用意されたり、ぬいぐるみやグッズが飛ぶように売れたりと、タンタンの人気は年々高まり、王子動物園の象徴的な存在となりました。
復興のシンボルとしての存在感
単なる人気者にとどまらず、タンタンは神戸という街の再生を見守り続けた「希望の象徴」でもありました。
多くの市民が「タンタンに会いに行くことで前向きな気持ちになれた」と語り、タンタンの姿に自分たちの復興の歩みを重ねていたのです。
神戸の街に笑顔をもたらし続けたタンタンの存在は、まさにパンダ以上の意味を持っていました。
静かに、そして力強く、人々の心に寄り添っていた彼女の姿は、今も多くの人の記憶に残っています。
2.晩年の闘病と最期の日々
タンタン🐼。。今も王子にいるんだね🥹
— けいパンダ (@kei_lovepanda) June 18, 2024
ずっと気になっていたから、正直とってもうれしかったよ🥹
タンタン(ソウソウ)からスウァンスウァンへ。。いつか生まれ故郷の中国へ帰ってしまうんだね🥹寂しいけど。。でもお父さんお母さんや仲間たちと一緒に眠れるね🌻🌈🌻#タンタンありがとう pic.twitter.com/K5aNtwLSAM
加齢による心臓疾患の発覚と治療
年月を重ねるごとに、タンタンにも少しずつ年齢の影が見えはじめました。2021年、王子動物園は定期健康診断でタンタンの心臓に異常があることを発見します。
診断結果は「加齢による心臓疾患」。獣医師や専門スタッフによる懸命な治療とケアが始まりました。
タンタンの年齢はすでに25歳を超えており、ジャイアントパンダとしては高齢の域に入っていました。
薬の投与、食事内容の工夫、日々の健康チェックなど、飼育員たちはそのひとつひとつに心を込めて対応しました。
見た目には穏やかに過ごしているように見えたタンタンですが、体調の波は次第に大きくなり、少しずつ体力が落ちていったといいます。
2023年3月31日、28歳で永眠
そして2023年3月31日、タンタンは静かにその生涯を終えました。28歳という年齢は、ジャイアントパンダとしては非常に長寿にあたります。
飼育下におけるパンダの平均寿命が20歳前後であることを考えると、タンタンがどれだけ大切に育てられ、丁寧に暮らしてきたかが伝わってきます。
この知らせに、多くの市民やファンが悲しみの声を寄せました。
SNSには「ありがとう」「癒やしをくれて感謝」などのコメントがあふれ、動物園にはたくさんの花や手紙が届けられました。
人間換算で100歳に近い高齢での旅立ち
ジャイアントパンダの年齢を人間に換算すると、タンタンはおよそ100歳近く。
長く静かに神戸のまちを見守ってきたその姿は、おばあちゃんのような存在だったのかもしれません。
最期まで神戸に寄り添い、人々に笑顔を与え続けたタンタン。
その生き方は、動物と人との絆、命の尊さ、そしてやさしさに満ちた日々を私たちに教えてくれました。
3.死後の返還と中国での保存処理
中日合意による「死後返還」の取り決め
タンタンの生涯が終わったあとも、彼女の旅は続きました。ジャイアントパンダは中国の国宝であり、海外の動物園で飼育されているパンダはすべて「貸与」という形をとっています。
タンタンもその例外ではなく、日中両国の合意により、たとえ死後であっても中国へ返還される取り決めがありました。
王子動物園と中国側との間で慎重な協議が行われ、タンタンをいかに未来に残すかという点で議論が重ねられました。
単に遺体を送り返すのではなく、その一生を後世に伝える形として「剥製」と「骨格標本」という選択肢が採用されたのです。
剥製と骨格標本の作成と意義
剥製や標本というと、冷たい印象を受けるかもしれません。
しかし、これはタンタンの体を無機質な展示物にするためではありません。学術的な研究や教育、そしてなにより「タンタンという命があった証」を残すための方法です。
作業には高度な技術が必要とされ、専門の技術者たちによって、慎重に数か月かけて進められました。
タンタンの表情や毛並みなど、できるかぎり生前の姿を再現し、多くの人にそのぬくもりや優しさを伝えることが意図されています。
2025年6月、中国への最終帰国
こうして完成した剥製と骨格標本は、2025年6月25日に神戸を離れ、翌26日には中国へと到着しました。まるで「里帰り」のようなこの帰国には、多くの人が胸を熱くしたことでしょう。
帰国後は中国の保護研究機関で展示や研究に活用される予定で、タンタンはその生涯を閉じた後も、多くの人の学びや気づきの中で生き続けます。
王子動物園は、「これまでタンタンを愛してくださった皆さまに深く感謝し、タンタンが神戸で過ごした日々が、パンダ保護の未来につながることを願っています」とコメントを発表しています。
まとめ
神戸の街とともに生き、愛され続けたジャイアントパンダ・タンタン。その28年の生涯は、ただの動物の一生ではありませんでした。
震災からの復興に歩む神戸の人々に寄り添い、笑顔と希望を届けてくれた存在。日本と中国の国際交流の懸け橋としても、重要な役割を果たしました。
最期まで丁寧に育てられ、旅立ったあともその姿を残して未来へと受け継がれていくタンタン。
私たちにできることは、その命が教えてくれたやさしさや思いやりを、日々の中で思い出し、大切にしていくことかもしれません。
もうタンタンに会うことはできませんが、その存在は、神戸の空の下にも、中国の山奥にも、そして多くの人の心の中にも、きっと生き続けていることでしょう。
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