先日、参議院選挙のニュースを見ていたところ、ある候補者の演説内容が大きな話題になっていました。政治団体「NHK党」党首・立花孝志氏が、街頭演説の中で「黒人やイスラム系の人が集まっていると怖い」「外国人に生活保護を渡すと襲いかかってくる」などと発言したのです。
これまでの立花氏の発言と手法を集めてみました。
はじめに

街頭演説で飛び出した衝撃発言
2025年7月、参院選兵庫選挙区に立候補している「NHK党」党首・立花孝志氏が加古川市内で行った街頭演説が、SNSを中心に大きな波紋を広げています。
話題となったのは、「黒人とか、いわゆるイスラム系の人たちが集団で駅前にいると怖い」という発言。
さらに、「白人だとそんなに恐怖を感じないでしょうけど」と述べ、「差別と言われるかもしれませんが」と断りを入れつつも、特定の人種や宗教に対するネガティブな印象を公の場で語った点が問題視されています。
こうした発言は一部の聴衆の拍手を得たものの、インターネット上では「明確な差別発言ではないか」「候補者が公言すべき内容ではない」といった批判の声が相次ぎました。
演説の映像は瞬く間に拡散され、事態は全国的な関心事となっています。
選挙戦における「外国人恐怖」の主張
立花氏は演説の中で、「6年前はNHKの集金人が怖かった。でも最近は外国人が怖い」と語り、続けて「外国人に生活保護を渡すと間違いなく襲いかかってくる」などと発言。
背景にあるのは、治安悪化への懸念や社会保障制度への不満のようですが、その言葉の選び方は極端で、根拠が乏しい印象を受けます。
また「日本人ファースト」という表現を用いて、有権者の不安や怒りに訴えかける手法も見られました。
これは、近年世界各国で台頭している排外主義的な選挙戦略と類似しており、政治的手段として「外国人恐怖」を利用しているようにも映ります。
特に兵庫県は多文化共生を進めてきた地域でもあり、この発言が地域社会に与える影響は小さくありません。
1.立花孝志氏の発言の全容

「黒人やイスラム系が怖い」発言の背景
立花氏が発言した「黒人やイスラム系の人たちが駅前にいると怖い」という言葉は、多くの人にショックを与えました
。一見すると個人の感情を述べただけにも見えますが、候補者という立場から公の場で発言したことには大きな意味があります。
こうした「外国人が怖い」という感覚は、テレビやネットニュースで流れる事件報道に影響されやすく、実際の経験よりもイメージによってつくられることが多いとされています。
例えば、外国人グループが駅前に集まっている様子を見て不安を覚える人は一定数いますが、それが「犯罪性」や「脅威」に直結するわけではありません。それでも、立花氏はその感覚をあえて言語化し、「共感」を狙った可能性が高いと言えます。
「白人なら怖くない」発言と差別性の指摘
立花氏は同じ演説の中で「白人ならそんなに怖くない」とも発言しています。
これは、肌の色や文化的背景によって恐怖の度合いを変えているという意味になりかねず、人種差別的なニュアンスを帯びています。
日本ではあまり議論されていませんが、こうした「白人は怖くないけど、黒人やイスラム系は怖い」という感覚は、欧米でも“ステレオタイプ”や“構造的差別”として大きな問題とされています。
たとえば、アメリカでは特定の人種が警察によって不当に扱われる問題がたびたび指摘されており、「恐怖」の感情が差別の温床となることがあるのです。
立花氏の発言は、そのような構造を日本の政治の場に持ち込むものであり、候補者としての倫理性が問われる内容でした。
「外国人に生活保護を渡すと襲われる」発言の危険性
さらに問題となったのが、「外国人に生活保護を渡すと襲いかかってくる」とする発言です。
これは、特定の集団を「危険な存在」として一括りにし、暴力的であるかのように語っています。
日本では生活保護の受給者に外国人が含まれることがありますが、その多くは長期滞在者であり、法に基づいて支給が行われています。
現実には生活困窮者の中には日本人も多く、暴力事件と生活保護の因果関係を示すデータはほとんどありません。
にもかかわらず「襲いかかってくる」と断言するのは、誤解や偏見を助長する表現であり、社会的な不安を煽る危険があります。
特に、移民や外国籍住民が増加する現代において、政治家のこのような発言は、地域社会に対立や不信を生む火種になりかねません。
2.選挙戦略としての「日本人ファースト」
「治安の乱れ」とする根拠のあいまいさ
立花氏は演説の中で「治安が悪くなっている」と強調し、その背景に「外国人の存在」を関連づけました。しかし、具体的なデータや事例には触れておらず、根拠はあいまいなままでした。
実際のところ、兵庫県警などの公的な統計によると、外国人による重大犯罪の件数が急増しているという傾向は見られていません。
一方で、治安に不安を感じる市民の声があることも事実であり、そこに政治家が「外国人=危険」という単純な構図をあてはめてしまうと、誤解や偏見が助長されやすくなります。
選挙演説で治安を争点にすること自体は否定されるべきではありませんが、感情論だけで語られると、現実との乖離が大きくなり、有権者の冷静な判断を妨げる恐れがあります。
「民意」としての外国人排斥主張
立花氏は「日本人ファースト」という言葉を繰り返し、「民意がそうなってきている」とも発言しました。つまり、外国人に対して厳しい視線を向けることが、国民の多数意見であると主張しているのです。
しかし、これは本当に「民意」なのでしょうか。
2020年代に入り、全国各地で多文化共生を目指す取り組みが活発になっており、兵庫県でも外国人住民と地域社会の共生を目指す活動が広がっています。
市民団体や教育現場では、異なる文化や背景を持つ人々が互いに理解し合いながら暮らせる地域づくりを進めており、そこに排外的な言説が割り込むと、積み重ねてきた信頼関係が崩れかねません。
「民意」とは一様なものではなく、メディアの影響やSNSの空気に左右されやすいものです。特定の声を「国民の総意」と見なして語ることは、かえって分断を招く危険があります。
自身の「気持ちが変わった」発言の意味
立花氏は演説の終盤で、「僕もそんなに排他的な気持ちは持ってなかったが、強い気持ちに変わりました」と語りました。
これは、自身の内面が変化したことを正直に語ったもののようにも聞こえますが、その「変化」の方向性が排他的である点に、多くの人が違和感を抱きました。
政治家は、自身の変化を公に語ることで共感を得ることもありますが、今回は「外国人への恐怖心」が増したという、極めて感情的な理由でした。
これでは、有権者に冷静な判断材料を提供するどころか、ネガティブな感情を投げかけてしまう結果になりかねません。
「変わった」のではなく、「変えられた」のではないか。そう問い直す視点が、今の時代には必要です。
3.発言の波紋と社会的反応
差別扇動との批判と法的リスク
立花氏の一連の発言については、差別扇動にあたるのではないかという批判が相次いでいます。
特定の人種や宗教を名指しして「怖い」「襲ってくる」と発言することは、社会的偏見を強め、暴力や差別的行動を誘発する可能性があるからです。
日本ではヘイトスピーチ対策法(正式には「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」)が2016年に施行されました。
罰則規定はないものの、自治体レベルで独自の条例を設けている地域もあり、発言内容が公的に問題視されるケースも増えています。
仮に立花氏が発言を続け、街頭での演説やネット上で拡散されることで、暴力的な言動や差別行動につながった場合、本人の責任を問う声がさらに高まる可能性があります。
選挙活動での発言とはいえ、公共性の高い場での発信には慎重さが求められます。
SNS・メディアの反応と市民の声
発言直後からSNSでは、「人種差別を正当化するような候補者が国政を目指していいのか」「言ってはいけないことを平気で言うことに恐怖を感じる」といった批判が広がりました。
特に若い世代を中心に「共生社会」への意識が高まる中、今回の演説はその流れに逆行するものとして受け止められています。
一方で、一部のユーザーからは「本音を言ってくれる候補者だから信用できる」という声もあり、社会の分断が浮き彫りになっているのも事実です。
メディア報道では、街頭インタビューに応じた市民の中にも「不安に感じる部分は分かるが、政治家としての言葉ではない」と冷静に見つめる人が多く見られました。
SNS時代の今、こうした発言が一瞬で広がることの影響力は計り知れず、政治家の発言責任はより重くなっています。
公職選挙法や選挙倫理との整合性
選挙において候補者が訴える内容は、当然ながら公職選挙法や選挙運動の倫理にも適合していなければなりません。
公職選挙法では、明示的に「差別発言」を禁じる条文は存在しませんが、「選挙の公正性」や「選挙人の自由な意思形成の妨げになる行為」は避けるべきとされています。
また、総務省が発行している選挙運動に関するガイドラインでは、選挙運動における「誹謗中傷」や「虚偽情報の拡散」は違法行為となりうると明記されています。
立花氏の発言がこの基準に抵触するかは法的に判断が分かれる可能性がありますが、少なくとも「政治家としての倫理」や「公人の責任」といった面では、強い批判にさらされても仕方がない内容といえるでしょう。
選挙は、単に票を集めるための場ではなく、社会のあり方を問う機会でもあります。その中で、差別的な言説が繰り返されることの意味とリスクを、私たち一人ひとりが考える必要があります。
「日本のトランプ」? 立花氏の手法と分断の戦略
立花孝志氏が赤いキャップをかぶって街頭演説を行う姿を見て、「あの人って“日本のトランプ”みたいだな」と感じた方も多いのではないでしょうか。実際、アメリカのトランプ前大統領と同じく、彼もSNSを巧みに使い、わかりやすく“敵”をつくって対立構造を演出しながら支持を集めています。
今回の参院選でも、SNS上では連日発信を続け、炎上すれすれの表現で注目を浴びているようです。さらにNHK党の候補者ポスターの中には、個人名を出した攻撃的なキャッチコピーを掲げているものまで見られ、まるで「これは選挙ポスターというより抗議ビラなのでは?」と驚かされることもありました。
こうしたスタイルが、短期的には一部の層から「よく言ってくれた!」「本音で語っていて好感が持てる」と支持を得ることがあるのは事実です。けれど、その一方で多くの人を分断し、傷つけ、社会全体の対話を難しくしてしまうという側面も見過ごせません。
私自身、こうした「敵を叩いて目立つ」戦術を政治の場で見かけるたびに、「本当にこれでいいのかな…?」と疑問を感じています。選挙は、本来なら人と人をつなぎ、地域や社会をよりよくするための対話の場であるはず。それが、分断と対立を煽る“戦場”のようになってしまっているとしたら、とても悲しいことです。
私たち有権者一人ひとりが、主張の中身だけでなく、「どう伝えているか」「誰を傷つけていないか」までを含めて、冷静に見つめていくことが、これからますます大切になってくるのではないでしょうか。
立花孝志氏の演説の意図は?
立花孝志氏(NHK党代表)が「外国人が怖い」「治安が悪くなる」といった主張を街頭演説で展開している背景には、以下のような目的や意図があると分析されます。
1. 恐怖を煽ることで支持基盤を固める
立花氏は、外国人を「脅威」として語ることで、特定の支持層の不安や閉鎖的な感情に呼びかけ、投票行動を促す戦略をとっています。これはヘイトスピーチ的な文脈であり、選挙前に特に強まる傾向があります 。
2. メディア・注目を狙う演出
立花氏は過去にも、物議を醸す発言や過激な表現で注目を集めてきました。外国人を「怖い」と表現することで、伝統的メディアだけでなくSNSでも話題となり、「炎上マーケティング」に近い効果を狙っていると見られます 。
3. 政策目的の具体性より感情喚起を優先
「怖い」「治安が悪い」といった抽象的な言葉で感情を揺さぶり、具体的な政策提案よりもムードを作ることに重点を置いている印象です。これは、複雑な移民・共生政策より、シンプルで直感に訴える表現が有効と考えられるためです。
4. 社会危機感を利用した選挙戦略
立花氏の演説は、移民・在留外国人との共生政策への反発というよりも、「外国人=危険」という構図を暗黙裡に作り出すことによって、自己ポジションを「保守・排外寄り」に見せ、有権者の“恐れる気持ち”を味方につけようとするものと読み取れます 。
5. 実際の社会的背景と被害相談の増加
全国的に、在日や外国ルーツの人々への差別やヘイトスピーチの被害訴えが増えています。立花氏のような言説が拡散されることで、社会全体の分断と緊張が高まり、多くの自治体や支援団体が対応に追われています 。
✅ 総合的なまとめ
- 外国人を「怖い」と語るのは、支持層の恐怖心を喚起し、票を集めるための演出手法です。
- 具体的な政策より感情的な刺激を重視しており、それが投票行動につながると考えていると推察されます。
- 一方で、このような言説は社会に分断や偏見を広げ、実際には差別される側の被害・不安を深める副作用も大きく、対策や批判が必要です。
立花孝志氏の「外国人に対する発言」と他の過去発言との比較
1. 特定民族への侮蔑的言動(2019年ごろ)
かつて、世界の人口増に言及した際に「アホみたいに子どもを産む民族はとりあえず虐殺しよう」といった過激な表現をしたことが報道され、ジェノサイドを連想させるとして国内外で大きな批判を受けました 。
2. 過激アピールによる炎上狙い
英語圏ウィキペディアによれば、このような過激発言について立花氏自身は、議論や注目を集めるために意図的に発言したと主張しており、メディアでの話題性を狙ったものだと説明しています 。
3. 政治内部での執拗な追及姿勢
立花氏は、情報漏洩文書を巡って「中国人が黒幕だ」といった追及を続けたり、県知事に繰り返し質問を投げかけるなど、強い攻撃的アプローチを示しています。「中国人」と言及する部分には差別的な要素が含まれていますが、これは「外国人恐怖」よりも政治的攻勢の一環として見られます 。
📊 比較一覧
分野/時期 | 発言内容 | 特徴と意図 |
---|---|---|
2025年7月(加古川) | 「黒人やイスラム系は駅前にいると怖い」 | 外国人全体を恐怖感と結びつけ、不安を煽る手法。 |
2019年頃 | 「特定民族を虐殺しよう」等の発言 | 明確に民族差別的、非常に過激。炎上や注目を集める狙いが強い。 |
情報漏洩追及(2025年春) | 「中国人黒幕説」「事情をしつこく追及」 | 政治的追及の手法として“外国人”というレッテルを利用。 |
✅ 総合的な分析ポイント
- 言葉の度合いとフォーカス
過去(特に2019年)は民族全体への暴力を示唆する過激な発言、一方今回(2025年)は「怖い」という感情的表現としつつも、やはり特定の人々を対象にしています。 - 意図と効果
いずれの発言も「不安や恐怖を煽る」目的が共通しており、直接的投票行動や支持者の動員につながる手法として活用されています。 - 言説の社会的影響
こうした発言は、社会において外国人全体への偏見や差別を助長し、被害を訴える人々を増やす副作用を持ちます。行き過ぎた表現は法的・倫理的に問題視されることもあります。
まとめ
立花孝志氏の街頭演説での発言は、「外国人恐怖」をあからさまに言語化したものであり、社会的にも倫理的にも大きな波紋を呼びました。
とくに、「黒人やイスラム系は怖い」「白人はそうでもない」といった人種や宗教に基づいた評価、そして「外国人に生活保護を渡すと襲ってくる」といった極端な主張は、根拠のない偏見を助長しかねません。
選挙戦において候補者が有権者の不安に訴えることは珍しくありませんが、立花氏のように「恐怖」や「排除」をベースにした訴えかけは、共生を目指す社会に逆行するものです。
また、それが「民意」とされるとき、私たちは本当にそうなのか立ち止まって考える必要があります。
SNSやメディアでの反応が分かれたように、社会の中にも賛否が存在します。
しかし、その一方で、公共の場で語られる言葉には責任があり、社会に与える影響を無視してはなりません。今回の件は、単なる一候補の発言にとどまらず、私たちが今後どんな社会を目指すのか、その方向性を問うひとつの象徴的な出来事といえるでしょう。
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