2025年10月、自民党本部で取材中のカメラマンによる「支持率下げてやる」という発言がSNSで拡散し、時事通信社が本人を厳重注意処分とする事態になりました。
一見「雑談の一言」にも思えるこの発言が、なぜここまで問題視されたのでしょうか?
報道機関の中立性や公平性が強く問われる中、ネット上では「個人の軽口か、組織の体質か」と意見が割れています。
この記事では、発言の経緯や会社側の対応、SNSでの反応、そして報道が抱える構造的な課題まで、一般視聴者の立場からわかりやすく整理してみました。
はじめに
報道の中立性が問われた「支持率下げてやる」発言
2025年10月7日、自民党本部で高市早苗総裁の取材を待っていた報道陣の中から、「支持率下げてやる」との発言が聞こえた音声がネット上で拡散しました。
問題の発言をしたのは、時事通信社の映像センター写真部に所属する男性カメラマンであることが判明し、同社は9日に本人を「厳重注意」としたことを公表しています。
取材現場での軽い雑談だったとはいえ、「報道機関が特定の政治家の支持率を操作しようとしているのではないか」という疑念を招く事態となりました。
この件は一カメラマンの不用意な発言にとどまらず、「報道の中立性・公正性」をめぐる社会的議論を呼び起こしています。
SNS拡散と世論の反応が広がる背景
発言の音声は、ネットのライブ配信中に偶然収録され、瞬く間にSNSで拡散されました。
X(旧Twitter)では「報道機関の信頼が失われる」「雑談でも許されない内容だ」といった批判の声が殺到し、ヤフーコメント欄でも数百件の投稿が寄せられています。
一方で、「あくまで個人の軽口にすぎない」と擁護する意見もあり、社会全体で“報道と権力”の距離感をどのように保つべきかという議論へと発展しました。
今回の騒動は、SNSが持つ“瞬間拡散力”が報道倫理を可視化し、世論形成のスピードを加速させる典型例とも言えるでしょう。
1.時事通信カメラマン発言の経緯
発言があった現場の状況(自民党本部での取材待機中)
問題の発言が起きたのは、2025年10月7日午後。
高市早苗総裁が自民党本部で取材対応に臨む前、各メディアの報道カメラマンたちは取材エリアで待機していました。
報道現場では、長時間の待機や立ち位置の調整など、緊張感の中にも雑談が交わされることがよくあります。
その最中、時事通信社の映像センター写真部に所属する男性カメラマンが、雑談の中で「支持率下げてやる」「支持率が下がるような写真しか出さねえぞ」と口にしたのです。
この発言は、偶然にも現場の様子をライブ配信していたネット中継の音声に収録されており、後にSNSで急速に拡散。瞬く間に大きな炎上へと発展しました。
「支持率下げてやる」発言の内容と録音・拡散経路
発言が録音されたのは、党本部での報道待機中の雑談時。
一部のカメラマンや記者の間で笑いも交じるような軽いやりとりの中で出た言葉でしたが、それがネット配信のマイクに拾われたことで、文脈を離れて全国に広まる結果となりました。
X(旧Twitter)では「報道が政治を敵視している証拠では」「笑いながら話しているのが余計に不快」といった批判が相次ぎ、発言の切り取り動画が数百万回再生される事態に。
一方で「単なる冗談をここまで叩くのは過剰」「カメラマンの一言で時事通信を責めるのは違う」といった擁護の声も見られ、ネット上では賛否が大きく分かれました。
会社側の確認と厳重注意の発表までの流れ
発言が拡散された翌日、時事通信社は社内調査を実施。
映像センター写真部の男性カメラマン本人の発言であることを確認し、9日付で「厳重注意」とする処分を公表しました。
同社は、「発言が報道機関の中立性・公正性に疑念を抱かせた」として謝罪し、今後は社員教育の徹底を図ると説明しています。
藤野清光取締役編集局長は、「雑談とはいえ、社会的に影響力を持つ報道機関の一員として極めて不適切」とコメント。
また、斎藤大社長室長も「自民党をはじめ関係者の皆さまにご迷惑をおかけした」として正式におわびの言葉を発表しました。
この迅速な対応は、報道への信頼を維持するための最低限の処置と評価する声もある一方で、「社内処分で終わらせず、第三者による検証が必要」とする意見も少なくありません。
発言の軽さとは裏腹に、今回の問題は報道機関全体に対する“信頼”という重いテーマを突きつける出来事となりました。
2.報道機関の中立性と責任
雑談でも許されない「報道姿勢」への疑問
今回の発言が大きな批判を呼んだ理由の一つは、単なる“雑談”として片づけられない点にあります。
報道機関のカメラマンは、国民の「知る権利」を支える立場にあり、その言動には常に高い倫理観が求められます。現場での一言がそのままネット上で切り取られる時代、軽率な発言は「組織の姿勢」として受け止められるリスクがあるのです。
実際、SNS上では「報道が政治家を敵視しているように聞こえる」「これが一人の問題ではなく、報道全体の空気を示しているのでは」といった声が多く見られました。
こうした指摘は、“報道と政治の距離感”を問うものでもあり、記者クラブ制度や報道の在り方そのものに対する不信感へとつながっています。
編集局長コメントにみる社内の危機感
時事通信社の藤野清光取締役編集局長は、「雑談であっても報道の公正性や中立性に疑念を抱かせる結果を招いた」として、厳重注意の処分を発表しました。
このコメントからは、社内で今回の件を“軽い問題”と捉えていない姿勢がうかがえます。
特に「社会的影響力のある立場としての自覚不足」という表現には、報道に携わる者としての職業倫理への強い警鐘が込められているといえます。
一方で、こうした内部対応をもってしても世論の信頼回復は容易ではありません。
「再発防止策が見えない」「報道倫理教育の形式化が問題」という意見もあり、現場と経営層の温度差が指摘される場面も見られました。
この出来事は、報道機関が自らの“内部文化”を見直す契機にもなっています。
他メディア・記者クラブ全体への影響と波紋
今回の騒動は、時事通信社だけにとどまらず、報道界全体に波紋を広げました。
他社の記者やカメラマンも同じ現場にいたため、「誰が発言したのか」という憶測や批判が他の報道機関にも及んだのです。
記者クラブ制度のもとで同じ空間を共有するメディア間では、「自分たちも気をつけなければ」との引き締めムードが広がっています。
また、国民の間では「どの報道も偏っているのでは」「マスコミの権力チェック機能が失われつつある」との声も増加。
特に政治報道の信頼性が低下すれば、民主主義の根幹である“情報の公正な伝達”が揺らぎかねません。
この事件は、報道の現場に潜む“緊張感の緩み”を浮き彫りにし、改めてメディアに求められる責任の重さを社会に突きつけたと言えるでしょう。

3.SNSと世論の反応
「個人の軽口か、組織の体質か」──ネット上の主な論点
SNSでは大きく二つの見方が広がりました。
ひとつは「個人の軽口に過ぎない」という立場。長時間の待機で気が緩む現場事情を踏まえ、「発言は不適切だが、本人の反省と社内指導で十分」という声です。
もうひとつは「組織の体質がにじみ出た」という立場。報道機関の現場でこうした言葉が出ること自体を重く捉え、「同様の意識が他にもあるのでは」「現場の雰囲気が問題」と構造的課題を指摘する意見が目立ちました。
さらに「政治報道に対する好悪が写真選定・見出しで無意識に表れるリスク」や、「冗談が切り取られて真意と違う形で広まる時代の怖さ」など、メディアリテラシー面の論点も加わりました。
ヤフコメで目立った意見(公平性・説明責任への指摘)
ヤフーコメント欄では、次のような傾向が見られました。
- 説明責任を求める意見:社内調査の結果や再発防止策を、第三者の目も交えて公表すべきという声。
- 処分の妥当性を問う意見:「厳重注意」で十分か、懲戒の透明性や基準の明確化を求める指摘。
- 現場の緊張感低下を懸念する意見:待機中の雑談であっても、公共性の高い場での振る舞いとして不適切という評価。
- 過度なバッシングを諫める意見:個人攻撃や過剰な糾弾は避け、制度・運用の改善に議論を向けるべきという姿勢。
総じて「中立性・公平性の担保」「処分・検証プロセスの見える化」を求める声が中心でした。
メディア不信の広がりと今後求められる透明性
今回の件は、既に高まっていたメディア不信に油を注ぐ形となりました。信頼回復には、
- 編集・制作プロセスの開示(写真・見出しの選定基準、ファクトチェック手順の説明)、
- 苦情・訂正の運用可視化(受付窓口、対応期限、訂正記事の掲載ルールの明文化)、
- 第三者監視の導入・強化(外部有識者の検証委員会、年次の透明性報告)、
- 現場研修の実効性向上(ケーススタディ、eラーニング、評価と連動した再発防止)
といった“具体策”が欠かせません。
視聴者・読者がチェック可能な形で情報を公開し、疑念が生じた際は速やかな検証と説明を行う。この当たり前の積み重ねこそが、失われた信頼を取り戻す近道だといえるでしょう。

まとめ
今回の問題は、2025年10月7日に自民党本部で収録された一言が、9日の「厳重注意」発表へとつながり、報道の中立性・公正性に対する社会の視線がいかに厳しいかを浮き彫りにしました。
たとえ待機中の雑談でも、公共性の高い現場での不用意な発言は、メディア全体の信頼を損ないかねません。
SNSやヤフコメでは「個人の軽口」か「組織の体質」かで議論が分かれましたが、共通して求められたのは、説明責任と再発防止策の具体化でした。
編集・制作プロセスの開示、苦情・訂正の運用可視化、第三者による検証、実効性ある倫理研修といった取り組みを、見える形で継続することが信頼回復の近道です。
報道機関にとって、政治権力と適切な距離を保ちつつ、市民の「知る権利」に奉仕する姿勢を実務レベルで徹底できるかが試されています。
本件を一過性の不祥事で終わらせず、現場文化と組織運用の両面から改善を進めることが、今後の報道の質と信頼を支える土台になるでしょう。
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