ロンドンブーツ1号2号、解散を生放送で発表!衝撃のカウントダウンとその真

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お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」が、2025年6月24日放送のテレビ朝日系「ロンドンハーツ」緊急生放送で、まさかの解散を発表しました。

31年もの間、テレビ界の第一線で活躍してきた田村淳さんと田村亮さん。解散の発表は生放送中の“カウントダウン”という前代未聞の演出で、視聴者を驚かせました。

本記事では、突然の解散に至るまでの背景や2人のこれまでの歩み、そして解散後のそれぞれの活動について詳しくご紹介します。ファンならずとも気になる“ロンドンブーツ1号2号のラストシーン”、ぜひ最後までご覧ください。

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目次

はじめに

解散を告げた“あの瞬間”の衝撃

2024年6月24日、テレビ朝日系「ロンドンハーツ」の緊急生放送中に、お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号が突然の解散を発表しました。手紙を読み上げたのは狩野英孝さん。その最後に「ロンドンブーツ1号2号は解散致します。田村淳」と記されていた瞬間、スタジオの空気が一変しました。

出演していたFUJIWARAの藤本敏史さんやアンタッチャブルの山崎弘也さんも、驚きを隠せない表情でした。

さらに、田村淳さんが観客や視聴者に向けて「皆さんも一緒に!」と呼びかけ、3・2・1とカウントダウン。そして「解散〜!」と叫んだその瞬間、31年の歴史にピリオドが打たれました。予定されていた発表ではなく、その場で行われたライブ感あふれる決断に、多くの視聴者が画面越しに声を失ったことでしょう。

31年間の歴史に幕を下ろす決断とは

ロンドンブーツ1号2号は1993年にコンビを結成し、テレビ朝日系「あなあきロンドンブーツ」で全国区の人気を得て以来、数々のバラエティ番組に出演してきました。吉本興業に所属しながらも、20年以上にわたり第一線で活躍してきた2人。

その中には笑いだけでなく、さまざまな試練もありました。2019年には亮さんの「闇営業問題」により活動休止という苦境を経験し、その後YouTube「ロンブーチャンネル」や株式会社設立など、新しい道を模索する期間もありました。

そんな中での今回の解散は、単なる“別れ”ではなく、人生の次なるステージへの“節目”としての意味合いも強く感じられます。お互いに芸人としての活動は続けるとのことですが、コンビとしての姿をもう見られないと思うと、やはり寂しさは否めません。

1.ロンドンブーツ1号2号とは

結成のきっかけとコンビ名の由来

ロンドンブーツ1号2号の誕生は1993年。当時、若手芸人として活動していた田村淳さんと田村亮さんが、吉本興業の「銀座7丁目劇場」のオーディションで出会い、意気投合したことがきっかけでした。お互いに「田村」姓ではありますが、血縁関係はなく、まったくの他人同士。それでも、不思議と息の合った掛け合いで、少しずつ注目を集めていきました。

コンビ名の「ロンドンブーツ1号2号」は、かつて人気を博した“光GENJIのローラースケート”に対抗して「ブーツを履いて走る」というユニークな発想から来ており、若さと勢いを象徴するようなネーミングでした。実際にはブーツを履いていたわけではありませんが、「インパクト重視」の姿勢がうかがえる、淳さんらしいセンスが光る名前です。

テレビ業界でのブレイクと代表番組

転機となったのは、1996年にスタートしたテレビ朝日系の深夜番組「あなあきロンドンブーツ」。若手芸人が次々に出演し、体当たりでロケやコントに挑むスタイルが当時の視聴者に新鮮に映り、瞬く間に人気を集めました。

その後も「ロンドンハーツ」や「炎のチャレンジャー」など、バラエティ番組で次々にレギュラーを獲得。特に淳さんの巧みな進行と“イジリ”のセンスは業界内でも高く評価され、亮さんの素朴で天然な受け答えとのバランスが“ボケでもツッコミでもない”新しいコンビ像を打ち出しました。

彼らの活躍は、テレビの深夜枠からゴールデンタイムへと押し上げられる流れの一翼を担い、後輩芸人たちにとっても道を開いた存在だったと言えるでしょう。

「田村」姓ながら血縁関係なし

意外と知られていないのが、2人に血縁関係がまったくないという事実。同じ「田村」という姓であることから「兄弟コンビ」と誤解されることもありましたが、実際には出身地も家庭環境も異なります。

淳さんは山口県出身、亮さんは大阪府出身。性格も対照的で、淳さんは好奇心旺盛で仕切り屋タイプ、亮さんは控えめで素直な人柄です。そんな“対照的な2人”が、舞台の上では驚くほど息の合った掛け合いを見せていたのが、ロンドンブーツ1号2号の魅力でもありました。

この“他人同士”の絶妙な距離感こそが、31年間という長いコンビ生活を築けた理由のひとつかもしれません。

2.解散発表の舞台裏

生放送での手紙読み上げとカウントダウン

2025年6月24日、テレビ朝日系「ロンドンハーツ」での緊急生放送。その本番中に、突然田村淳さんが「手紙を読んでほしい」と狩野英孝さんに託したのが、すべての始まりでした。

手紙は淡々と始まりましたが、最後の一文で空気が変わります。「このたび、ロンドンブーツ1号2号は解散致します。田村淳」──。狩野さんの声が詰まり、一瞬スタジオは静寂に包まれました。

その後、田村淳さんは改めて自身の言葉で「ここで発表させていただきたいと思います。31年間やってきたんですが、解散することを決めました」と説明。そして、「厳密に言えば、まだ解散してないので、皆さんにカウントダウンしていただいて…」と提案し、視聴者や出演者とともに「3・2・1…解散~!」と声を揃えて幕を下ろしたのです。

この演出には、最後まで“バラエティ魂”を忘れないロンドンブーツらしさが感じられました。

解散を決断するまでの話し合い

突然のように見えた解散発表でしたが、実はその裏には2人だけの静かな話し合いがあったといいます。

長年の相方である田村亮さんと、今後の活動やそれぞれの歩みをどうするか、じっくり時間をかけて相談したそうです。特に、2019年の闇営業問題からの再出発後は、コンビとしての在り方や個人の活動の比重にも変化が出てきていました。

亮さんは2023年末に吉本とのエージェント契約を終了しフリーに。一方で淳さんは自ら設立した会社を閉じ、改めて吉本興業に所属。それぞれの道を選んだ2人が、あらためて「ロンドンブーツ」としてのゴールを話し合った末の決断だったのです。

親交ある芸人たちのリアクション

この緊急発表には、現場にいた芸人たちも大きく驚かされました。

FUJIWARAの藤本敏史さんは「ほんまに!?」と何度も繰り返し、アンタッチャブルの山崎弘也さんも「信じられない!」と口を押さえる姿が印象的でした。生放送でその場にいた彼らにとっても、事前告知なしの発表は完全なサプライズだったようです。

また、SNS上では同業の芸人や業界関係者からも「お疲れ様でした」「ロンドンブーツは永遠に記憶に残るコンビ」といったねぎらいの言葉が数多く投稿されており、その影響力の大きさを改めて感じさせる出来事となりました。

3.解散後のそれぞれの道

淳の今後の活動とビジョン

解散後も、田村淳さんはこれまでどおり吉本興業に所属しながら、マルチに活動を続けていくと語っています。実業家や大学院進学など、すでに「芸人の枠」を超えた動きを見せてきた淳さんですが、今後もそのスタンスは変わらないようです。

2020年には株式会社LONDONBOOTSを設立し、自らマネジメントも行っていましたが、2023年末に会社を閉業。これは自身の方向性をより明確にするための判断だったとも言われています。また、ロックバンド「jealkb」のボーカル“haderu”としての音楽活動も続行する意向を示しており、「表現者・田村淳」としての進化がますます期待されます。

さらには、政治や教育、地域づくりへの関心も強く、これまでに地方創生イベントへの参加や、大学院での研究成果をもとにした講演なども行っており、“社会派”芸人としての一面もより色濃くなるかもしれません。

亮のフリーでの挑戦と再出発

一方、田村亮さんは現在、完全なフリーの立場で活動しています。2023年末に吉本興業とのエージェント契約が終了し、それに先立って株式会社LONDONBOOTSも解散。現在は個人での仕事の受注やイベント出演などを中心に活動しています。

亮さんといえば、その誠実なキャラクターと飾らないトークが持ち味。2019年の活動謹慎以降、徐々にテレビ復帰を果たし、淳さんとともにYouTube「ロンブーチャンネル」などで信頼を取り戻してきました。

今後は、バラエティ番組だけでなく、地域密着型のイベントや教育・福祉分野への関わりにも期待が高まります。派手な芸ではなく、“人間力”を武器にした亮さんらしい活動が広がっていきそうです。

ファンや視聴者へのメッセージ

2人とも、今回の解散に際してファンや関係者への感謝の気持ちを何度も口にしていました。生放送では「31年間ありがとうございました!」「応援してくれた皆さんのおかげでここまで来られました」と、淳さんも亮さんも視聴者に頭を下げるシーンが印象的でした。

SNSでは「青春の一部だった」「ロンドンブーツに笑わせてもらった思い出は一生忘れません」など、別れを惜しむ声が続々と寄せられています。

解散は一区切りではありますが、2人の芸人人生はまだまだ続いていきます。ロンドンブーツ1号2号という名前はなくなっても、それぞれが培ってきた経験と人柄が、これからの活動にもきっと生きていくでしょう。

まとめ

ロンドンブーツ1号2号──その名を聞けば、多くの人がテレビの前で笑った日々を思い出すことでしょう。1993年の結成から31年間、田村淳さんと田村亮さんはそれぞれの個性を活かしながら、バラエティの世界を駆け抜けてきました。

コンビとしては解散という形を選びましたが、それは決して“終わり”ではありません。生放送でのユーモアを交えた発表、ファンへの深い感謝、そしてそれぞれの未来への力強い一歩。そこには、ロンドンブーツらしさが最後の最後までにじんでいました。

芸人としての形は変わっても、2人が歩んできた道と、これから向かうそれぞれの道が、多くの人の記憶に残ることは間違いありません。ロンドンブーツ1号2号の“解散”は、次なる物語の“始まり”でもあるのです。

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