コムアイが語る参政党への本音|共鳴と違和感の狭間で見えた“暮らしと政治”の接点

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「参政党否定ばっかりしてきたけどさ」──そんな意外な一言を、2025年7月、アーティストのコムアイさんがインスタグラムに投稿し、SNS上で注目を集めました。
彼女が語ったのは、ワクチンへの慎重な姿勢やオーガニック志向、自然出産の経験など、参政党の支持層と重なる価値観。しかし一方で、「日本人ファースト」やLGBTQへの条件付き容認などの政策には「無理!」と拒否感をあらわにします。

この記事では、コムアイさんの発言を通して、参政党の政策に共鳴する人々の背景や、そこにある価値観の分岐点をわかりやすく読み解いていきます。

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目次

はじめに

コムアイ

コムアイの“参政党支持層と近い”私的感覚

「水曜日のカンパネラ」の元ボーカルとして知られるコムアイさんが、2025年7月9日、自身のインスタグラムのストーリーで投稿した言葉が波紋を呼びました──《参政党否定ばっかりしてきたけどさ》。これまで参政党を明確に支持する発言をしてこなかった彼女が、突然その“共鳴点”を語り始めたのです。彼女は「ワクチンをできるだけ打ちたくない」「オーガニック志向」「自然出産経験者」「伝統文化に誇りを持っている」など、自身のライフスタイルが参政党の支持層と近いことを率直に認めました。

たとえば、ワクチンに対する慎重な姿勢や、腸内環境を守るために抗生物質をほとんど使わないといった健康観は、参政党が掲げる「ワクチン副反応の徹底検証」や「自然医療との共存」といった政策とも共通しています。さらに、ペルーの熱帯雨林での自然出産という自身の経験から、「自然な出産の選択肢」を主張する同党議員の姿勢にもうなずける部分があったようです。

SNSでの突然の告白とその反響

コムアイさんの告白は、政治的スタンスが問われやすい今の時代において、非常に個人的でありながら社会的なインパクトを伴うものでした。特に注目を集めたのは、彼女が「わかるよ?わかるけどさ!」と自ら共鳴しつつも、「日本人ファースト」「LGBTQへの条件付き容認」「新憲法の内容」といった参政党の一部方針には強く違和感を示したことです。

この“共鳴と拒絶”の姿勢に、多くのSNSユーザーが反応。ある者は「共感できる」と支持し、ある者は「矛盾している」と批判しました。いずれにせよ、この発言をきっかけに、政治とライフスタイル、そして価値観の接点について、私たち一人ひとりが考える機会が生まれたのではないでしょうか。

1.参政党との共鳴──ライフスタイルと政策の接点

ワクチン忌避と自然志向:健康観の一致点

コムアイさんが「ワクチンなるべく打ちたくない」と語った背景には、幼少期からの体験と、身体への過度な介入への不信感があるようです。副反応が怖い、注射が苦手といった個人的な感覚はもちろん、近年の“ワクチン情報の洪水”に疲れているという声は、SNSでもたびたび見かけます。

参政党はこうした感覚を受け止めるように、「ワクチンの効果と副反応の徹底検証」を公約に掲げています。「とにかく打て」ではなく、「情報を開示し、選択肢を保障する」という姿勢は、医療不信を感じる人々の間で一定の共感を呼んでいます。

さらに、抗生物質の使用を控えるコムアイさんの健康観も、腸内環境や自然治癒力を重視するという意味で、同党が発信する“自然志向”の考え方と親和性があります。薬に頼らず、生活リズムや食事を見直す。そんな暮らし方を求める人々にとって、参政党のスタンスは「ちょっとわかるかも」と思える部分なのです。

自然出産と助産師制度:現場を知る当事者として

ペルーの熱帯雨林の村で出産したというコムアイさんの体験は、想像を超えるものです。医療施設も電気もない環境で、現地の人々に支えられながら、命を迎え入れる。その選択は、自然の中で自分自身と向き合い、母としての直感を信じるという勇気に満ちています。

参政党の吉川りな衆議院議員は、通常国会で「医療的介入を伴わない自然な出産の選択肢」を確保すべきだと訴えています。助産師の役割を再評価し、妊婦が“どう生みたいか”を選べる社会を目指す提言は、まさに当事者の声に寄り添ったもの。

日本でも出産は病院で行うのが当たり前と思われがちですが、都市部には自宅出産や助産院を希望する人も増えています。コムアイさんのように、あえて“自然”を選ぶ女性たちにとって、出産における多様性の確保は重要なテーマとなっています。

伝統文化への関心とオーガニック志向:日常に根ざした価値観

さらに注目すべきは、コムアイさんが日本の伝統文化に強い関心を寄せていることです。「誇りを持っているし、習っている」と話す姿勢は、単なる“懐古趣味”ではなく、自身の暮らしの中に文化を取り入れる実践的なもの。和服、和食、和のリズム。そうした日々の選択が、彼女のアイデンティティを形成しているのかもしれません。

参政党もまた、神道や伝統芸能などの文化継承を大切にしている政党です。有機・自然農法の推進もその一環で、「土に還る生き方」「自然に寄り添う暮らし」を選びたい人々にとって魅力的に映ります。

たとえば、無農薬野菜の宅配サービスや、自然派コスメ、伝統工芸を使ったインテリアを好む人たちの中には、政策ではなく“感覚”として参政党に引かれる人も少なくありません。コムアイさんのように「生活の肌感覚」で共鳴してしまう。そんな瞬間が、今の時代には増えているのかもしれません。

2.分岐する価値観──“日本人ファースト”への違和感

在来種と多様性の尊重は別問題:民族主義への危機感

「在来種の野菜が食べたい」というコムアイさんの発言は、あくまで自然環境や地域文化を大切にしたいという個人の価値観に基づいたものでしょう。これは持続可能な農業や伝統の継承にもつながる、ポジティブな姿勢として受け取ることができます。

しかし、参政党が掲げる「日本人ファースト」のスローガンは、似たように“純国産”や“伝統文化”を重んじるように見えながらも、その背景に“外国人排除”というニュアンスが含まれていることが、コムアイさんにとっては受け入れがたい部分だったのでしょう。

たとえば、「日本の国柄を守るために、外国人労働者の流入を制限する」といった政策は、伝統の保護と称しつつ、実質的に“よそ者”の排除につながりかねません。多様な価値観が共存する社会を目指す立場からすれば、それは“逆方向”のメッセージとして届いてしまいます。

外国人・LGBTQ政策に見る排他性:共存への懸念

「外国人やLGBTQを条件付きで受け入れる姿勢が無理」とコムアイさんが語ったように、参政党の一部のスタンスは「共存」を語りながらも、その根底には“条件付きの認容”があると受け取られてしまう節があります。

吉川りな議員がSNSで述べた「LGBT理解増進法の裏には全体主義がある」との発言も、その一例です。「生物学的女子の権利を守る」という表現の裏には、トランスジェンダーの人々を排除するような雰囲気が含まれていると感じる人も多いでしょう。

実際、街頭でLGBTQの権利拡大に反対するビラを配る姿や、学校教育から多様性教育を排除しようとする動きには、SNS上でも賛否が分かれています。「保守」と「差別」は紙一重であるという指摘もあり、コムアイさんのように“感覚的に拒否感”を抱く人がいるのも無理はありません。

“無理すぎる”新憲法構想案:個人の自由との衝突

そして、コムアイさんが「吐きそう」とまで語ったのが、参政党が作成した「新日本憲法構想案」。この案では「国家の主権」を前面に押し出し、国民よりも“国家”が先に来るような記述が見られます。

たとえば、構想案の「第二章 国家」には、「国は主権を有し、その尊厳と独立を保持する」という文言が冒頭に記されています。これに対してSNSでは、「国民主権が軽視されているのでは?」という声が続出。神谷宗幣代表は「国家が強くなければ国民主権は守れない」と反論しましたが、この理屈に納得できないという層も一定数存在します。

個人の自由を重んじる現代の若い世代にとって、「国家のために国民がある」という考え方は、まるで時代を逆行するように感じられるのかもしれません。コムアイさんが感じた“ズレ”は、まさにこの感覚的な違和感──国家と個人、保護と統制のバランスへの直感的な拒絶だったのではないでしょうか。

3.参政党の思想的背景と支持層の実像

減税と反グローバリズム:一丁目一番地の政策

参政党が打ち出している主要政策のひとつが「減税」です。党代表の神谷宗幣氏は「とにかく国民の可処分所得を増やすことが最優先」と語り、消費税の廃止や所得税の見直しなどを訴えています。この「家計直撃型」の訴えは、特に物価高や増税に敏感な層に響きやすく、支持の土台となっている要素です。

さらに、参政党のもうひとつの柱が「反グローバリズム」です。これは、外国資本の買収によって日本の企業や土地が外資に支配されているという危機感から生まれたもので、「日本を取り戻す」というスローガンのもと、外国人労働者の規制や食の安全保障などに踏み込んだ政策を掲げています。

たとえば、外国資本が地方の水源や森林を購入している現状に対し、「このままでは日本が日本でなくなる」と危機感を募らせる声はSNSでもよく見られます。そうした“自国保護”の文脈は、コムアイさんのようにナチュラル志向な人たちの中にも一定の共感を生む一方で、その先にある排他性にはやはり違和感を覚える人も多いのです。

吉川りな氏のLGBTQ観と“全体主義”批判

参政党の衆議院議員・吉川りな氏は、「LGBT理解増進法」の成立について、単なる少数者支援ではなく“グローバリズムの一形態”として警戒を示しています。2024年3月のInstagram投稿では「生物学的女子の権利を脅かす背景に全体主義がある」といった主張を展開し、一部では“差別的だ”と批判されました。

この発言は、“性別”というテーマをめぐってフェミニズムやジェンダー論の複雑な対立を巻き起こしてきた欧米の議論を反映したものにも見えますが、日本国内の文脈に置き換えたときに、それをどう受け止めるかは大きく分かれます。

一方で吉川氏は、自然出産や食の安全といったテーマにも力を入れており、「生活者目線の女性議員」として支持を集めている面もあります。つまり、「共鳴するところはあるけれど、思想の核にある敵対的な姿勢には距離を感じる」といった、コムアイさんのような立場の人が少なくないのです。

神谷宗幣氏の「国家主権」発言と憲法論争

そしてもうひとつ、参政党の方向性を象徴するのが、神谷宗幣氏による「国家主権」の強調です。5月に発表された『新日本憲法構想案』には、「国家は主権を有する」と明記されており、これに対してSNS上では「国民主権の否定ではないか」との声も噴出しました。

神谷氏は6月、自身のX(旧Twitter)で「国家の主権を守らなければ、国民主権も守れない」と反論していますが、「そもそも国民主権は憲法の大前提では?」という素朴な疑問を抱いた人も少なくありません。

このように、「日本を取り戻す」ための強い国家像を描こうとする姿勢は、保守的な支持層には受け入れられるものの、リベラルな立場や個人主義的価値観を重視する層には警戒心を呼び起こします。コムアイさんが感じた“無理すぎる”という直感は、まさにそのギャップからくるものなのかもしれません。

まとめ

コムアイさんの言葉《参政党否定ばっかりしてきたけどさ》には、現代に生きる私たちが直面する価値観のジレンマがにじみ出ています。ワクチンやオーガニック、自然出産や伝統文化への尊重──これらは決して特別な思想ではなく、むしろ多くの人が共感しうる“生活感覚”です。実際、参政党が掲げる政策の中には、そうした日常感覚と響き合うものも少なくありません。

しかしその一方で、「日本人ファースト」やLGBTQ・外国人に対する姿勢、新憲法構想に見られる国家主義的な方向性には、明確な分断が存在しています。「自然に生きたい」「人に優しくありたい」と願う気持ちと、「排除や管理」の空気が隣り合っている現実に、コムアイさんは強い違和感を抱いたのではないでしょうか。

この“共鳴と拒絶”は、今の日本社会全体が抱える揺れでもあります。どこかに賛成すると、別のどこかに反対せざるをえない。完全に「YES」でも「NO」でもない、複雑な感情。その真ん中で、私たち一人ひとりが何を選び、どう向き合うのかが、これからの時代の「政治参加」のかたちになっていくのかもしれません。

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