北口榛花選手が60.38mで予選敗退…右ひじと足首の怪我が与えた影響とは ?スポーツ遍歴も紹介

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2025年の世界陸上東京大会で、日本女子やり投げのエース・北口榛花選手がまさかの予選敗退となりました。

金メダル候補と目されていた彼女が60.38mにとどまった背景には、右ひじや左足首の故障、そして十分な試合感覚を取り戻せなかった調整不足が大きく影響しています。

この記事では、報道で明らかになっている怪我の経緯やパフォーマンスへの影響、さらに今後の回復プランと復帰への見通しについて詳しく整理していきます。

目次
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はじめに

世界陸上東京大会での北口榛花選手の結果

2025年に開催された世界陸上東京大会で、日本のエースとして期待されていた北口榛花選手は、女子やり投げ予選A組に出場しました。

過去に世界の舞台で金メダルを獲得した実績もあり、観客やファンの多くが「決勝進出は確実」と見ていました。

しかし、結果は60.38メートルにとどまり、全体で12位以内に入ることができず、惜しくも予選敗退という結果になりました。

この記録は北口選手の実力を考えると決して本調子ではなく、多くの人が「なぜ結果を出せなかったのか」に注目しました。

予選敗退に注目が集まった理由

北口選手はこれまでに日本女子やり投げの歴史を塗り替え、世界のトップに名を連ねてきた存在です。

そのため、母国開催となる東京大会では「連覇」「金メダル」という言葉が自然に期待されていました。

ところが実際には予選で姿を消すこととなり、会場にも驚きと落胆の空気が広がりました。

さらに、報道で「右ひじの故障」や「左足首の不調」といった怪我があったことが伝えられると、ファンは「本当に万全だったのか」「怪我がどれほど影響したのか」といった点に関心を寄せました。

大会の舞台裏での身体の不調や調整不足が注目されるのは、北口選手がこれまで積み重ねてきた実績の大きさゆえとも言えるでしょう。

https://twitter.com/athleteboo/status/1969041526035784027

1.北口選手を悩ませた怪我

右ひじの故障とその経緯

北口選手が最も大きな影響を受けたのは右ひじの故障でした。2025年6月末、シーズンの途中で痛みが強まり、医師からは「内側上顆炎」と診断されています。これは腕を繰り返し使う競技者に起きやすい炎症で、物を持ったり肘を曲げるだけでも痛みが出るケースが多いとされます。その結果、日本選手権など複数の試合を欠場せざるを得ず、実戦から約2か月も遠ざかることになりました。やり投げは助走からリリースまで一瞬の爆発的な力を腕に伝える競技のため、肘の痛みは記録に直結します。北口選手自身も「思い切り腕を振り抜けない」と語り、トレーニングにも大きな制限がかかっていました。

左足首のトラブル

さらに追い打ちをかけたのが、左足首のトラブルです。足首のねんざが報じられており、助走の際に地面を蹴る動作や踏み切りに支障をきたしました。

やり投げは上半身だけでなく、助走からの勢いをいかに効率よく全身で使えるかが重要です。

足首に痛みがあればスピードを出すことが難しく、踏み切りで体重を支える際にも負担がかかります。結果的に、助走から投擲への一連の動きがぎこちなくなり、フォーム全体に影響を及ぼしました。

怪我の併発による練習制限

右ひじと左足首、両方の怪我が同時期に重なったことで、練習の幅は大きく狭められました。

例えば、肘の回復を優先すれば投げ込み練習は控えざるを得ず、逆に足首の負担を減らそうとすると助走練習が制限されます。

実戦感覚を養うための練習が思うように積めず、練習と休養のバランスに苦労したといわれています。

試合前にはテーピングでサポートしながら調整していたものの、「本番に近い動きを繰り返すことができなかった」という本人のコメントからも、十分な準備が整わなかった様子が伝わってきます。

この複数の怪我が重なった状況こそが、東京大会で予選突破を逃す大きな要因になったと考えられます。

2.怪我が与えた影響

テーピング使用と本番での判断

調整段階では右ひじや足首をテーピングで固定し、痛みの出やすい動きを制限しながら練習していました。

固定すると痛みは抑えられますが、そのぶん腕の振り抜きや足首のしなりが小さくなり、投擲の「キレ」が落ちやすくなります。

本番は「感覚が良い」としてテーピングなしで臨みましたが、固定を外すと今度はフォームの微妙なズレ(腕の出る角度、踏み切り脚の沈みなど)が露出します。

結果として、テーピング有無の“差”に身体が馴染みきれず、助走から投げまでの一体感が最後まで安定しませんでした。

試合感覚に近い練習不足

やり投げは、助走スピード→踏み切り→体重移動→腕の加速→リリースという一連の流れを「試合ペース」で繰り返すほど精度が上がる競技です。

肘と足首の不調が重なり、投げ込みの本数や助走の全力反復を控えたことで、実戦に近い負荷の練習が不足しました。

たとえば、練習では7~8割の力感で良くても、試合で10割に上げた瞬間にリズムが崩れ、助走の最後の2~3歩で“置きにいく”動きが出やすくなります。

東京の予選でも、助走スピードに対して踏み切りのタイミングがわずかに遅れ、リリースの角度が高くなりすぎる(または押し切れない)場面が目立ち、距離に直結しました。

完全回復に至らなかった身体状態

予選当日は「肘の痛みは引いている」とされましたが、痛みが消えても“怖さ”や無意識のかばい動作は残りがちです。

肘を守ろうとして肩が先に開く、足首を気にして踏み切りで沈み込みが浅くなる—こうした小さな代償動作が積み重なると、全身のしなり(キネティックチェーン)が途切れ、結果的に初速や回転が伸びません。

本人も「自分がどれだけ飛ばせるか想像できないまま」という不安を口にしており、身体だけでなくメンタル面の揺らぎもパフォーマンスに影響しました。

総じて、痛みのコントロールはできても“競技者としての全力動作を安心して再現できる”段階には一歩届かず、それが60m台にとどまった最大の理由になりました。

3.結果と今後の展望

北口選手 予選敗退

予選A組での記録と順位

東京大会の予選A組で、北口選手のベストは60.38メートルでした。やり投げの予選は「決勝に必要な記録」または「上位12人」が通過の目安になりますが、この日はそのラインに届かず、全体12位以内にも入れませんでした。

投てきの内容を見ると、助走のスピードは悪くない一方で、最後の踏み切りから投げ出しまでがかみ合わず、距離が伸びる“ひと押し”が足りませんでした。

1本目で安全に入って、2本目・3本目で上げていくのが理想ですが、フォームの手直しに時間を使う形となり、スコアに反映しきれなかった印象です。

過去の実績との比較と本人コメント

北口選手は、これまで世界の大舞台で優勝争いをしてきた実力者です。60メートル台前半は、彼女のポテンシャルからすると“物足りない”数字と言えます。

本人も「自分がどれだけ飛ばせるか想像できないまま」という不安を明かし、万全の準備ができていなかったことを示唆しました。

実際、右ひじと左足首の影響で、全力に近い実戦練習の回数が限られていたのは大きいでしょう。

トップ選手でも、練習での“いつもの流れ”が崩れると、本番での微調整が効きにくくなります。今回の結果は、力が落ちたというより「準備が足りない状態での出場だった」と読むのが自然です。

回復プランと復帰への見通し

今後は、①痛みを出さない動きの確認、②助走と踏み切りのタイミング作り直し、③試合ペースの投げ込み—の順で戻していくのが現実的です。

具体的には、まず肘と足首を守りながら「軽い投てき」や「分解ドリル(助走だけ・踏み切りだけ・腕の振りだけ)」で感覚を取り戻し、次に助走の最後の3歩を重点的に練習して、体重移動と投げ出しの角度を安定させます。

最後に、小規模な競技会を挟んで“試合勘”を回復させ、60m台後半→70m台手前と段階的に引き上げていくイメージです。北口選手は「強くなって戻ってくる」と語っています。

年齢的にもまだ伸びしろは十分。焦らずに体と心の両面を整えられれば、再び大舞台でのビッグスローは十分に期待できます。

北口榛花の凄いスポーツ遍歴|バドミントン少女から世界一のやり投げ選手へ

北口選手の父・北口善央さんは、 北海道電力で活躍した元アイスホッケー選手。社会人リーグでもプレーし、日本代表の合宿に呼ばれた経験もあるほどの実力者でした。母・北口久美子さんも高校時代に 槍投げの選手 として活躍していました。

ご両親が「基礎体力をしっかりつけさせたい」という思いから、幼少期からスイミングスクールに通っていたそうです。北国・北海道育ちで体が大きかったこともあり、水泳は体力づくりや体幹の安定にとても役立ったといわれています。

スポーツ一家のDNAと恵まれた体格で「世界の北口」と言われる北口榛名選手は、バトミントンでも好成績を残しています。

バドミントン少女時代

小学校6年 全国大会団体で優勝

北海道・旭川で生まれた北口榛花選手。子どものころは意外にも「バドミントン少女」でした。
小学校時代から全国大会に出場するほどの実力者で、周囲からも「将来はバドミントンで!」と期待されていたほどです。
ラケットを握り、ネットを挟んでシャトルを打ち合う日々。コートを駆け回る中で、瞬発力や腕力、そして体幹の強さが自然と育まれていきました。

小学6年制で体格差は歴然ですね。

運命の転機 ― やり投げとの出会い

高校進学を前に、陸上部の先生から「その体格とパワーならやり投げに挑戦してみないか」と声をかけられます。
身長179cm、恵まれた体格を持つ北口選手にとって、それは新しい扉を開くきっかけでした。
最初は戸惑いながらも、槍を投げてみると想像以上に飛ぶ!
「自分にはこっちのほうが合っているかもしれない」――そう思った瞬間、バドミントンからやり投げへ、競技人生が大きく舵を切りました。

快進撃の高校時代

高校で本格的に始めたやり投げ。しかし、その伸びは驚くべきものでした。
入学して間もなく全国高校総体で優勝。たった数年で国内トップの地位に立ちます。
そして2015年、高校3年生で出場した「世界ユース陸上選手権」では、日本女子やり投げ史上初の 金メダル を獲得!
バドミントン少女から世界王者へ――その劇的なストーリーは、多くの人を驚かせました。

大学・社会人で世界へ

日体大に進学後も記録を伸ばし続け、社会人になってからは世界の舞台で活躍。
2022年の世界陸上オレゴン大会では、ついに日本女子やり投げで初の 金メダル を獲得しました。
さらにダイヤモンドリーグでも次々とタイトルを手にし、「世界の北口」と呼ばれる存在へ。

まとめ ― 転向が生んだ世界一

北口榛花選手の歩みは、決して一直線ではありませんでした。
バドミントンという全く違う競技からスタートし、その経験を土台にしてやり投げで世界の頂点に立ったのです。
「挑戦してみる」という一歩が、ここまで大きな成果につながったことは、私たちにとっても大きな勇気を与えてくれますね。

放送事故?

余談ですが・・・

世界陸上東京大会の予選で距離が伸びずに傷心の北口選手をカメラが追っているときに、織田裕二のバカ笑いが重なって放送事故レベルと物議を醸してしまいました。

まとめ

北口榛花選手が東京の世界陸上で予選敗退に終わった背景には、右ひじと左足首という“投げる腕”と“踏み切る足”の要となる部位の不調が重なったことがありました。

テーピングで守れば動きが硬くなり、外せば微妙なズレが出る――どちらを選んでも理想のフォームに届きにくい状況で、本番と同じ強度の練習量も積み上げにくかったのが実情です。

その結果、助走の最後の数歩やリリース角度といった細部が合わず、60.38mに止まりました。

ただ、痛みが引きつつあることや、本人の「強くなって戻ってくる」という言葉から、前進の芽は十分にあります。

まずは痛みを出さない動きの確認→助走の最後3歩と踏み切りの再構築→小さな大会で試合勘を回復、という段階的なやり直しが現実的な道筋です。

たとえば、軽い槍での分解ドリルや、助走だけを繰り返すメニュー、小規模の記録会で“本番の流れ”を取り戻すといった具体策が効果的でしょう。年齢的にも伸びしろは十分。

焦らず体と心を整え直せれば、再び大舞台でのビッグスローは充分に期待できます。

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