御上先生が人気学園ドラマをディスる?! 金八先生の功罪とは?

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ドラマ「御上先生」第2話で「とある有名な学園ドラマが放送されるたびに学校が荒れて学級崩壊を起こす」と御上が是枝に話す場面があって驚きました。

「御上先生」の飯田ディレクターは、「金八先生」に憧れ教師を目指したこともあると公式サイトのインタビュー記事で述べています。

「金八先生シリーズ」の功罪とはなにか?

学校の実態と、ドラマの学校教育監修をしている工藤勇一のインタビューから探ってみました。

工藤勇一氏とは、御上先生のモデルになった方です。

目次

「金八先生」への憧れ

「御上先生」の飯田ディレクターはインタビューでドラマを制作した動機について述べています。

僕は、『3年B組金八先生 第5シリーズ』(1999年)の兼末健次郎役の風間俊介さんの回を見たのをきっかけに教師を目指した教育学部に入り、教職課程を取りました。そんな経歴もあり、いつか『3年B組金八先生シリーズ』のような学園ドラマをつくりたいという思いがあった

(中略)

あるアーティストさんの動画に映る高校生たちがとても輝いていたことに感動しました。今の若者には熱がないという声もありますが、動画に映っていた子たちは全くそんなことはなく、むしろ若者たちのほうが世の中に対して声を上げているんじゃないかとも思って。そんな彼らに突き動かされたのが大きな理由です。」

「御上先生」公式サイトより

兼末健次郎は学校では問題行動が多いけれど、その原因は家庭になると涙を流しながら訴える金八の姿は感動的でした。

あるアーティストとはNHKの『18祭』のONE OK ROCKの動画だと語っています。

ドラマに登場する副担任の是枝文香(吉岡里帆)は、金八先生全シリーズを所有するほどの金八ファンです。熱心に生徒と向き合い、理想とする教育者たらんとしています。

こちらも公式サイトの飯田プロデューサーの撮影の裏側のインタビュー記事です。

是枝先生には、生徒たちがどういう状況にいるのかを彼女の視点を通じて視聴者に伝える役割がありますが、決して「新しい教師に振り回される先生」という典型的なキャラクターにはしていません。

彼女は生徒たちから信頼されており、凛とした強さも持っています。しかし、自分が理想とする教師像が御上によって崩され、自身を持っていた部分にも実は背伸びがあったと気付かされます。そういう意味では、本作は生徒だけでなく、是枝先生の成長物語でもあるのではないかと。

「御上先生」公式サイトより

飯田プロデューサーの思いが是枝先生に反映されているのかもしれませんね。

3年B組金八先生シリーズ

「3年B組金八先生」は、TBSで1979年から2011年まで放送された学園ドラマです。8シリーズまで、スペシャルドラマも含め32年間に渡って放送されました。

中学校の教員である坂本金八(武田鉄矢)が、学級担任をしている中学校の3年B組内に起こる様々な問題を体当たりで解決していく。そんな彼の姿に心を打たれた生徒たちが考えを改め、人間として成長していく様子を描いています。

原作は小山内美枝子

wikpediaより

1970年代末期から1980年代にかけて、中学校で校内暴力の嵐が吹き荒れていました。そんな世相を背景に『金八先生』は放送されました。

シリーズが進むごとに問題は多様化しています。貧困・格差・差別・・・。社会問題を背景に15歳が抱える苦悩に寄り添い、共に怒り、支えになり、子どもたちを社会が望んだ形(良い子)に変えていく、そんな教師像はドラマの主人公であっても熱い視線で迎えられました。

坂本金八の熱血指導により子どもたちが改心するスーパー熱血教師像が作られていったという御上の言葉はたしかにそうかも知れません。

増加する学級崩壊

御上は言います。「とある有名な学園ドラマの新シリーズが始まるたびに、日本中の学校が荒れて学級崩壊を起こす。

それを検証してみました。

学校の管理下における暴力行為発生件数の推移(小学校・中学校・高等学校の合計数)

文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」をもとに作成

暴力行為が増加し始める平成7年は1995年です。2000年にかけて一気に増加しています。その後は、徐々に減少傾向担っていまいたが、平成17年(2005年)また一気に増加し始めます。

金八先生4シリーズ:1995年10月12日 – 1996年3月28日

金八先生5シリーズ:1999年10月14日 – 2000年3月30日

金八先生7シリーズ:2004年10月15日 – 2005年3月25日

学校の管理下における暴力行為発生件数の推移(小学校・中学校・高等学校の合計数)

家庭教師のあすなろより

平成25年(2013年)中学校では減少していますが、小学校で暴力行為が急増しています。

2012年から2013年にかけて、小学校でのいじめ認知件数が急増しています。ネットの普及に伴い問題が低年齢化しているのがわかりますね。

ただし、上のグラフはいじめの認知件数であって、いじめが起こった件数ではありません。いじめが社会問題化したのは1980年代からで、大体10年スパンで4つのピークがありました。いじめによる自殺などの事件が公になるたびに注目されて、認知度が上がっていると考えられます。

スーパー教師像とモンスターペアレント

御上は続けます。生徒のために奔走するスーパー熱血教師以外は教師にあらずという空気を作ってしまった。保護者たちの教師に対する要求はエスカレート。教室の理想を描いたドラマが驚くなかれ、モンスターペアレント製造マシーンになるんです。」

モンスターペアレントとは

モンスターペアレントとは、学校などに対して自己中心的かつ理不尽とされる要求を行う保護者を指す言葉です。学校が対応スべき範囲を超えた要求を繰り返し行うことで学校業務に支障を生じさせることも問題になっています。和製英語でモンペアまたはモンペともいいます。

このような理不尽な要求をする保護者が増え始めたのは1990年後半だということです。

この当時の保護者の年齢は1960年から70年生まれで、学生時代に校内暴力が吹き荒れた時代を経験した世代です。

金八先生は果敢に暴力に立ち向かいますが、現実の教師は非力で暴力を見て見ぬふりをしていたことで学校や教師に対して不信感を抱いているからという意見があります。

また、バブルの崩壊で終身雇用の教師に対する嫉妬もあるのではないか。「声の大きな者勝ち」という風潮も拍車をかけているとの意見があります。

教育のサービス化ということもあげられています。自分の子供は他の子よりもより良い教師、環境になるべきだ。その教育を受けさせるのは学校の責任だと、多くを求める保護者が増えたといいます。

理想の教師

教育について検索してみると、1990年代という数字がよく現れます。

1990年代、バブルの崩壊により大企業の倒産やリストラなど、これまでの終身雇用制や年功序列賃金制度など日本型の経営が崩壊し、大不況の時代に突入しました。

学校現場では学校崩壊や子どもの犯罪が大きな社会問題となりました。

文科省は心豊かな人間の育成しようということで「ゆとり教育」が導入されます。

魅力ある教員を求めて 文科省

教師に求められる資質能力として求めれれるものは次のようなものだそうです。

  • 使命感や責任感
  • 教育的愛情
  • 教科や教職に関する専門的知識
  • 実践的指導力
  • 総合的人間力
  • コミュニケーション能力
  • ファシリテーション能力
  • わかりやすく伝える力
  • 観察力・洞察力
  • マルチタスク能力
  • 人に教える力

現在、教師がうつ病になったという話をよく耳にします。教師が疲弊し、それによって人材不足にもなっているそうです。

私自身「教師とはこうあるべきだ」という思いが少なからずあったと思います。

以下の論文は、教師の選抜においてポスト近代型能力を求めることの限界についてです。

「子どもたちが,先の見えない予測不可能なこの時代を,よりよく,よりたくましく生き抜
いていくためには,これまでとは異なる『新たな学力』を育てなくてはなりません。そしてそ
れが可能となるためには,当然,教師にも『これまでとは異なる新たな力量』『これまでとは異
なる新たな資質』が求められます。」

『教師の資質』

近年,「理想の教師像」ならびに「教師に求められる資質能力」が様々な場面で論じられるよ
うになっており,「教師像」の体現や「資質能力」の付与・獲得が教員養成によって意図的・計
画的に行いうるかのような議論が氾濫している。だが,実際には上の図に示したように,教員
養成における「教師の学び」と,「『ポスト近代型能力』を獲得した」と社会的に評価されるよ
うな「子どもの振る舞い」との間には,幾重もの間隙が存在している。さらに,「『ポスト近代
型能力』を獲得した」と社会的に評価されるような「子どもの振る舞い」が確認できない場合
には,「子どもの学び」もまた否定されることになるが,そのことは「教師の振る舞い」が「不
適切」であったことに原因が帰せられ,最終的には,教師が適切な振る舞いをできないのは「教
師の学び」が「不十分」であったことへと議論が帰着する。

この論文を私なりに解釈すると、教員の選考基準は教師としての専門知識が求められ、それは数値として表すことができた「近代能力(基礎知識)」。しかし1990年代以降は、従来の教師としての専門知識に加え「ポスト近代型能力」すなわち意欲や創造性, 対人コミュニケーション能力などの非認知的かつ非標準的な感情操作能力が求められるようになり、それは経験を積んだうえで得られるものであって数値化できるものではない。教師の選考試験において、「教師像」とはあくまで「理想」であったことを忘れて数値化できないものに重点に置くことは限界があることを認識すべきだと。

『御上先生』学校教育監修 工藤勇一

ドラマの学校教育監修をしているのは、横浜創英中学・高等学校校長の工藤勇一氏です。

「御上先生」の役作りにおいてモデルになったそうです。

教育再生実行会議委員や経済産業省「EdTech」委員などの公職のほか、文部科学省職員等の有志による「教育・学びの未来を創造する教育長・校長プラットフォーム」発起人も務めています。


子どもの自律を重視した教育改革に取り組み、宿題廃止、定期テスト廃止、固定担任制廃止などを実施してきました。

工藤氏は『校長の力-学校が変わらない理由、変わる秘訣』でこう述べています。

学校=悪という構図

「金八先生シリーズ」は多くの人たちの共感を呼び教育に対する関心を深めたのに、教育現場で働く教師には生徒や保護者からの風当たりが強くなっていきました。

金八先生は熱血漢で正義漢の役柄です。現実の教育現場ではありえない、ドラマ的な人格です。彼自身が人権的な見地からして問題のある行為をたびたび行っても、「ドラマだから」「フィクションだから」と許容されて見逃されていきます。

その一方で、他の教師たちはどうだったでしょう。「生徒たちの問題に対して消極的で、自分の体裁や保身ばかり気にしている」「教師の多くは、ことなかれ主義」「教師たちが信奉する管理的な教育が悪い」、そんな描かれ方だったように感じてしまいます。

(中略)

ドラマを通して学校の問題がクローズアップされたこと自体は、非常に意味があります。しかし、対立がクローズアップされ、問題の根本的な「原因」が見えにくくなってしまったのでは本末転倒です。

学校を批判すれば正義である、というお定まりの図式が金八先生のヒットによって定着したとすれば、それはもっと深刻な問題を生んだことになります。

『3年B組金八先生』は、結果として「学校教育に問題がある」というイメージを広く根づかせました。

校長の力-学校が変わらない理由、変わる秘訣より

それは新たな問題を生み出したと言っています。

教育のサービス産業化

教員側からすれば、できるだけ問題を発生させないようにしたいという心理になりがちです。

そして問題が生まれないようにと、ますます管理を徹底していくようになります。少しでも学校が荒れたら、それを正すために学習規律や生活規律を厳格化し守らせ、管理していく。また、生徒や保護者の視点から言えば「教師や学校にサービスを求める」という図式を加速させてしまったのだと僕は感じています。

つまり、良いサービスを「してあげる」のが良い学校や先生であり、親からすれば「学校が我が子にサービスを提供するのは当たり前」という考え方になります。

それによって学校の現場は、さらに大きな問題を抱えることになりました。

大人が何でもやってあげて与える側にいて、子どもは与えられることに慣れてしまう。そんな構図が、日本中の学校に定着していきました。

簡単に言えば、教育のサービス産業化です。

与えられるのを待つ姿勢が当たり前になった人間は、うまくいかないことが起こるたびに、他人のせいにしてしまうようになります。

いじめが起こるのは学校が悪い。子どもが授業を理解できないのは、教え方が下手な先生の問題だ。成績が伸びないクラスは担任の責任。

生徒も保護者もそのような考え方になっていきがちです。

校長の力-学校が変わらない理由、変わる秘訣より

「生きる力」は主体性と当事者性

工藤氏は、学校が本質的な教育に変えるときに大事なのは、子供たちに対して民主主義を教えることです。民主主義の社会とは、他人の自由を侵害しない範囲で、自分の自由が認められる社会であるといいます。

教育において一番大事なことは「自律した子供」を育てていくことだと私は考えます。自律。かみくだけば、主体性と当事者性、これこそが「生きる力」です。特にこれからの時代、社会はますます変化が激しくなり、10年後を予測することさえ困難です。企業が一生面倒を見てくれる時代は終わりました。子供たちがそんな世の中を自分の力で生きていくには、自分の力で考え行動するための主体性と当事者性が不可欠です。

学習指導要領では「生きる力」を育てるには子供たちに知徳体をバランスよく身に付けさせる必要があるとしていますが、各学校は手段である知徳体を育てることに躍起になり、「生きる力」そのものである主体性と当事者性を失わせています。

(中略)

自主性とは、簡単に言えば自ら進んで行動することです。日本の学校が育てようとしてきたのはこの自主性であり、先生や保護者が期待すること、または組織が期待することを自ら進んでやれる子供を育ててきました。自主性のある子供は、組織や学校、保護者にとって、とても扱いやすく、気持ちのいい子供です。日本の人口が増えて、経済も順調に成長していた時代にはこういう人間が必要とされていました。実際に一度就職すると年功序列でみんなの給料が上がり、基本的には定年退職まで会社側が面倒を見てくれた時代が長く続きました。

これに対し、主体性は自分の頭で考え、判断し、行動することです。まさに今の時代に求められるのはこちらです。保護者や先生が薦めることであっても、自分の頭で考えた上で場合によってはやらないことも決定できる力です。

みんなの教育技術サイト「先生を幸せにする働き方改革とは」工藤勇一氏インタビューより

自分で「学びたい」と思えば、生徒たちは勝手に勉強します。大事なのは、その生徒に合った学び方を覚えていくことです。その根底にあるのは「授業は先生がするものではなく、あなたたちが学ぶもの」という発想です。日本では明治維新から約150年間にわたって、教える側が何をどうやって教えるのかを考えてきました。しかし、これからは学ぶ側が何をどう学ぶかを考えていく必要があります。

(中略)

学校の「働き方改革」を進めるには、まずは子供たちに主体性と当事者性を育む必要があります。それをしない限り、教員の仕事は増え続け、批判され続けるという構造は変わらないですし、世の中に対して不満だらけなのに自ら変えていこうとしない若者を増やし続けることになります。このままではこの国の未来は危ういと私は感じています。もう、待ったなしの状況です。

(中略)

子供たちの主体性と当事者性を育てたいなら、まずは学校、そして教員が主体性と当事者性を持ち合わせていなければなりません。その延長線にこそ本物の「働き方改革」があるのです。

みんなの教育技術サイト「先生を幸せにする働き方改革とは」工藤勇一氏インタビューより

ドラマ『御上先生』で御上は「今、教育に必要なのはバージョンアップではなくてリビルド、既存のシステムやプロセスを根本から見直し再構築することです」と言っています。

ドラマを通して私達は教育の本質について考えていきたいと思いました。

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