袴田巌さん賠償額約2億1700万円決定!!世界で最も長い拘束に

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袴田事件は冤罪事件として有名ですね。逮捕から1度は死刑確定しましたが、冤罪を訴え続け58年でやっと無罪を勝ち取った事件です。

1966年の静岡県一家4人殺害事件で再審無罪が確定した袴田巌さん(89)に対し、静岡地裁は24日、約2億1700万円を交付することを決定しました。

袴田巌さんは47年7か月にわたって不当に身柄を拘束されたとして、弁護団が請求書を提出していました。 刑事補償法では無罪確定の場合、拘束日数に応じて1日あたり1万2500円を上限に補償すると定めています。

3月24日袴田巌さんに2億1700万円余の刑事賠償を静岡地裁が決定しました。

目次

袴田事件とは?

袴田事件とは、1966年静岡県清水市の味噌製造会社の専務宅で、当時、住んでいた5人の内、就寝中だった4人が殺害され金品を奪われ自宅に放火された事件です。

同社の従業員だった袴田巌が逮捕・起訴され強盗殺人罪などに問われ死刑判決が確定した。

しかし、2014年に再審で無罪が確定した冤罪事件として最も有名な事件の一つです。

真犯人は検挙されることなく公訴時効が成立した未解決事件でもあります。

年代順の経緯

1966年

  • 6月30日: 静岡県清水市(現在の静岡市)で、味噌会社の社長一家が殺害される事件が発生。遺体は自宅の倉庫で発見され、被害者は社長とその家族4人。
  • 7月: 警察は捜査を開始し、袴田巌(はかまだ いわお)が容疑者として浮上。彼は事件当時、味噌会社の従業員であり、被害者一家との関係があった。

1967年

  • 1月: 袴田が逮捕され、取り調べが始まる。彼は自白を強要され、犯行を認める供述をする。
  • 4月: 袴田に対する初公判が開始される。彼の弁護人は自白の強要を主張。

1968年

  • 3月: 静岡地裁で袴田に死刑判決が下される。弁護側は控訴。

1970年

  • 5月: 名古屋高裁が控訴を棄却し、袴田の死刑が確定。

1980年代

  • 袴田の冤罪を訴える運動が活発化。新たな証拠や証言が出てくる。

2000年代

  • 2008年: 袴田の再審請求が受理される。裁判所は新たな証拠を考慮し、再審の可能性を検討。2度目の再審請求(2008年申し立て)で、衣類のカラー写真など約600点にも上る証拠を静岡地検が新たに開示し、事態は大きく動いた。

2014年

  • 3月: 静岡地裁が袴田の再審を決定し、彼の釈放が実現。袴田は約48年にわたる拘禁生活から解放される。

2020年代

  • 袴田事件は日本の冤罪問題を象徴する事件として、社会的な関心を集め続けている。再審の進展や新たな証拠が議論されている。
再審請求における証拠

1. 新たなDNA鑑定結果

再審請求の大きなポイントとなったのは、新たに行われたDNA鑑定です。従来の証拠に基づいて有罪判決が下されていたものの、再審請求においては、犯行に使われた衣服に付着していた血液が袴田さんのものではなく、被害者のものだという鑑定結果が出ました。このDNA鑑定結果は、袴田さんが犯行に関与していない可能性を示唆する重要な証拠となりました。

2. 自白の信憑性

袴田さんの有罪判決の根拠の一つは、取り調べ中に行われた自白でしたが、この自白が強制的に引き出されたものである可能性があるとされています。再審請求においては、袴田さんの自白が不自然であり、取り調べの際に精神的・身体的な圧力があったことが指摘されています。

3. 証拠の捏造疑惑

さらに、当時の捜査過程で証拠が捏造された可能性が指摘されています。特に、袴田さんが犯行時に着ていたとされる衣服が証拠として提出された際、その保存状態や証拠品の取り扱いに疑問が呈されており、証拠の真偽に対する新たな疑念が生じています。

袴田さんを死刑とした確定判決では、みそ漬けされた犯行時の犯人の着衣とされる「5点の衣類」の血痕には赤みが残っているとされた

血液のついた衣類を味噌につける再現実験の結果、血痕は黒く変色することが証明された。

4. 新たな証人の証言

再審請求において、新たな証人の証言が再評価されることもあります。事件の当時から時間が経過しており、元々の証言が誤っていたり、今後の調査で新たな証拠が発見される可能性もあります。

5. 科学技術の進展

再審請求では、当時の技術では確認できなかった証拠が科学技術の進展によって新たに明らかになることがあります。DNA鑑定や指紋の再分析など、近年の科学技術の進展が再審請求における重要な要素となります。

2024年9月26日

静岡地方裁判所は無罪を言い渡した。

2025年

2025年1月、袴田さんが拘束された期間は47年10か月(世界最長)に及び、成年後見人を務める弁護士が1日あたり1万2500円の補償を国に求めた。

2025年3月24日、静岡地裁は2億1700万円あまりの刑事補償金を支払う事を決定。

弟の無罪を主張し支え続けた姉・秀子さんの言葉 今後について

「再審法改正や冤罪の究明支援はやっていこうと思ってるよ。講演の依頼も頂くんだけど、これは日本全国にお礼や報告を言いに行きたいから、受けようと考えとるよ。

 私は忙しい方が性にあってるでね。58年も支援活動をやってもくたびれたとも言わんよ。死ぬまでがんばるでね。

 でも、国家賠償については弁護士さんにまかせっきり。私はお金に関心ないし、大したお金もいらないだよ。重要なのは巌が無罪だったということ」

文春オンラインより

まとめ

袴田事件は、長年にわたる冤罪の象徴であり、司法制度や取り調べの在り方についての重要な教訓を提供しています。この事件は1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で発生した一家4人殺害事件に端を発し、プロボクサーだった袴田巌さんが犯人として逮捕されました。しかし、取り調べの過程で自白が強要された疑いがあり、証拠の捏造や不適切な手続きがあったと指摘されています。

事件の経緯は、法律や人権に関する議論を引き起こし続けており、袴田さんは2014年に再審開始決定を受けるまで47年間も拘束されていました。この長期間の拘束は、彼の精神的および身体的健康に深刻な影響を与えました。袴田さんの弁護団は、「取り調べの過酷さや証拠の信憑性に問題がある」として、再審請求を繰り返し行い、最終的に再審開始が認められました。

袴田さんの弁護団は、47年にわたる拘束が袴田さんの精神の健康に大きな影響を与えたと主張し、法が定める上限額の補償金を請求しました。世界で最も長く拘置された死刑囚だった袴田さんのケースは、国際的にも注目を集め、冤罪問題や死刑制度に対する批判を呼び起こしました。

2023年、静岡地裁の國井恒志裁判長は決定にあたり、「袴田さんが被った精神的、身体的苦痛は極めて甚大だ」と認め、補償金の支払いを命じました。この判決は、日本の司法制度における冤罪問題への一つの区切りを示すものとされています。

袴田さんの事件は、日本で最も長く、また最も有名な法的争いの一つであり、司法の透明性や取り調べの適正さを問う重要な事例となっています。この事件を通じて、司法制度改革や人権保護の必要性が改めて浮き彫りになり、今後の法的議論や政策に大きな影響を与えることが期待されています。

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