2025年7月12日、映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』がついにフジテレビで地上波初放送されることが発表され、SNSでは「ノーカットで?攻めすぎ!」「でも今だからこそ観るべき」と、驚きと称賛が入り混じった声が飛び交っています。
昭和31年を舞台にしたこの作品は、“目玉おやじの過去”を通じて、人間の闇や命の重みを真正面から描いた物語です。ちょうど戦後80年の今年、朝ドラ『あんぱん』やフジのドラマ『波うららかに おとめ日和』など、昭和の記憶を描く作品がヒットする中、この映画が今、テレビで放送される意味とは何か――。
この記事では、映画の見どころだけでなく、地上波放送に込められたメッセージ性や社会的背景、そしてSNSの反応をもとに、いま改めてこの作品が届けられる意義について考えていきます。
はじめに

鬼太郎誕生の背景にある“もうひとつの物語”
「ゲゲゲの鬼太郎」といえば、目玉おやじと鬼太郎が妖怪と戦うアニメを思い浮かべる方も多いと思います。私もそうでした。でも今回の映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は、それとは全く違う深さがありました。
舞台は昭和31年、山奥の「哭倉村」。戦後の混乱が残る時代、閉ざされた村の因習と向き合ったふたりの男──鬼太郎の父と、水木という記者が主人公です。出会うはずのなかったふたりが、命がけで人間の闇に立ち向かう姿に、胸が締めつけられました。
表には出せない出来事が村に潜み、表向きには立派な旧家が支配する中で、犠牲になるのはいつも声を持たない人たち…。これはただのホラーではありません。私たちの日常にも通じる怖さと優しさが詰まっていました。
これはただのホラー映画ではない
たしかに“怖い”描写もあります。惨劇、祟り、呪われた儀式…。でもこの映画が本当に伝えたかったのは、「人間の弱さ」と「愛の強さ」だと私は思います。
鬼太郎の父が妻を救えなかった無念、我が子を守るために“目玉”だけの存在になる決断、そして命を託された水木の覚悟…。こうしたエピソードが丁寧に描かれ、思わず涙がにじみました。
ここからは、ネタバレも含みつつ、鬼太郎の誕生の秘密と、映画に込められたテーマ、キャラクターの魅力を、わかりやすい言葉でお伝えしていきます。
1.鬼太郎の父と水木の出会い
舞台となる哭倉村と龍賀一族の支配
物語の舞台は、山奥にある哭倉村(なぐらむら)。時代は昭和31年。この村には、戦前からの古い習慣や迷信が今も色濃く残っています。村を支配しているのは、龍賀一族という旧家。見た目は由緒あるお屋敷ですが、実際は村人を恐怖で支配する存在です。
「赤子を生贄にすれば豊作になる」という恐ろしい信仰が、村には当たり前のように残っていて、誰も疑おうとしませんでした。
神社や祭りの洞窟など、映像で描かれる村の風景は本当に不気味で、「この村は絶対に何かおかしい…」と、観ている私もゾクゾクしました。
異なる動機で村に潜入した二人の男
そんな村にやってきたのが、鬼太郎の父と水木。二人は全く違う動機で村に足を踏み入れます。
鬼太郎の父は、行方不明になった妻を探すために。彼は妖怪で、人間とは少し距離を置いて生きてきた存在。でも、愛する人を救いたいという想いで、あえて危険な村に来ました。
水木は新聞社のような組織で働いていて、龍賀一族の秘密を探る任務を背負って村にやってきます。最初は淡々と調査をしていた彼ですが、次第に村の異常さに気づき、心が揺れていきます。
この正反対のふたりが、やがて心を通わせていく様子が、すごく丁寧に描かれていて…。「バディもの」としても見ごたえがありました。
呪いと血に彩られた惨劇の始まり
物語の中盤、村の神社で恐ろしい事件が起こります。龍賀一族のひとりが殺され、その遺体はまるで妖怪の仕業のような状態…。
この事件をきっかけに、「祟りだ!」と村は大騒ぎ。誰もが口を閉ざし、疑心暗鬼が広がっていきます。けれど、本当の犯人は妖怪ではなく、人間が起こした惨劇だったのです。
鬼太郎の父が「本当に怖いのは人間かもしれない」と語るシーンが、今でも頭から離れません。
2.鬼太郎の誕生と目玉おやじの誕生
生贄にされた母と鬼太郎の誕生
村では「赤子を龍神に捧げる」儀式が行われていて、その生贄に選ばれたのが鬼太郎の母。彼女は妊娠していて、お腹の中に鬼太郎を宿していました。
父は必死に儀式を止めようとしますが、間に合わず…母は命を落としてしまいます。でも、その遺体から生まれたのが、鬼太郎。まさに“死と命”が交差する瞬間でした。
あの場面、怖いはずなのに、どこか神々しくて…。鬼太郎が産声をあげる瞬間、涙が出てしまいました。
父が選んだ“目玉だけの命”
儀式を止めようとして傷ついた鬼太郎の父は、最後に「目玉だけの存在」として生きる道を選びます。
体は動かせない。でも、我が子を見守るために、目玉だけで生き続ける…。
なんだか、昔から見ていた「目玉おやじ」のイメージが、このとき一変しました。ユニークな存在だと思っていたのに、そこには深い愛と覚悟があったんですね…。
二人の“父”が遺したもの
鬼太郎の赤ちゃんは、水木に託され、村をあとにします。
血のつながりはないけれど、水木は命を見捨てず、大切に抱きしめてくれました。
実の父と育ての父。二人の“父”が鬼太郎の未来を支えたことが、とても温かく、ありがたく感じました。
3.人間の業と妖怪の境界
支配・差別・因習が生んだ“人間の怖さ”
この映画が私に一番強く残したのは、「妖怪より人間の方が怖いかも…」という感覚でした。
龍賀家は、村の支配者として“祟り”を信じさせ、村人を操ってきました。その背景には、「疑うな」「従え」という雰囲気があり、人々は本当に声をあげられないまま生贄を受け入れていたのです。
鬼太郎の母も、妖怪に襲われたわけではありません。人間の手で命を奪われてしまったのです。
この事実がとても重たくて、観ていて胸が痛くなりました。
昭和31年という時代のリアル
映画の時代は昭和31年。都会では経済が発展し始めた頃。でも、田舎ではまだ戦前のような考え方が残っていました。
村社会の閉鎖性、迷信、そして“外の世界を知らない怖さ”。それがすごくリアルに描かれていて、あの時代を知らない私でも、「ああ、こんな世界があったんだろうな」と納得してしまいました。
特に、“外から来た者”である鬼太郎の父と水木が、村の因習に立ち向かっていく姿は、「正しいことを貫く勇気」を感じさせてくれて、とても感動しました。
SNSが語る感動と賛否
SNSでもこの映画の感想はたくさんあがっていました!
「泣いた」「感動した」「目玉おやじが尊い!」といった声が多くて、「やっぱり私だけじゃなかったんだ~」と嬉しくなりました。
一方で、「子ども向けかと思ったら重すぎた」「原作とは別物」といった声もあって、受け取り方には個人差が大きいようです。
でも、それだけ多くの人が語りたくなる映画って、やっぱりすごいと思います。私も、この映画を観てから何日も頭の中で物語が巡っていて…。それだけ心に残る作品でした。
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』地上波ノーカット初放送
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』が、2025年7月12日にフジテレビで地上波初放送されるというニュースには、私自身も驚きと期待が入り混じる気持ちになりました。SNSでは「攻めすぎ!」「ノーカットって本気?!」という驚きの声と、「この時代だからこそ必要な作品だ」という真剣な意見が交錯しています。
地上波放送にあたって改めて感じるのは、この映画が単なるホラーアニメではなく、「戦争を体験した者が語り遺したかったもの」に触れる重要な作品であるということです。
戦争を描いてきた作家たちの“共通点”
『あんぱん』のモデル・やなせたかしさんも、そして『ゲゲゲの鬼太郎』の原作者・水木しげるさんも、どちらも戦争体験者です。やなせさんは「本当に正義とは何か」を戦場で疑い、のちに「食べ物をくれる正義の味方=アンパンマン」という発想にたどり着きました。一方、水木さんはラバウルで命を拾い、帰還後に「妖怪」を通じて人間の滑稽さや愚かさ、そして哀しさを描き続けました。
そんな2人の精神が、2025年という戦後80年の節目に、それぞれ「朝ドラ」と「映画」で蘇るのは、単なる偶然ではない気がしてなりません。
“戦後80年”に鬼太郎誕生を放送する意味
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は、昭和31年の哭倉村という架空の村を舞台にしていますが、その背景には戦後の傷跡が色濃く漂っています。敗戦からわずか10年余り、表面上は復興が進みつつある日本で、まだ封建や因習、迷信に縛られた人々の姿が描かれます。
そこに登場するのは、ただの“妖怪退治”ではなく、「人間の恐ろしさ」や「命の価値」を真正面から描く物語です。血の儀式、生贄、封じられた過去──グロテスクな描写があるのも事実ですが、それは決して“娯楽のため”ではありません。「見て見ぬふりをしてきた人間の闇」と向き合うために必要な描写なのです。
今、地上波で届けることの意義
配信サービスや劇場にとどまらず、全国どこでも“無料で視聴できる”地上波というメディアで放送されることは、とても大きな意味を持ちます。とくに家族と一緒に、あるいは深夜に一人で、思いもよらずこの作品に出会ってしまった人が、「これは何かが違う」と感じるかもしれない。
たとえば『あんぱん』のような優しさ、『波うららかに おとめ日和』のような昭和ロマンスとは真逆に近い、「命の重さ」や「歴史の闇」を描いたこの映画は、戦後80年を迎えた今だからこそ、次の世代にバトンを渡すための手段となるはずです。
結びに
戦争を生きた作家たちが描いたものには、時代を超えて響く“問いかけ”があります。
それは「正義とは何か?」「命とは?」「人間とは?」という、私たち一人ひとりに向けられたメッセージです。
たとえ描写が重くとも、「その問いを避けてはいけない」と背中を押してくれる――
それが、この『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を地上波で放送する、本当の意義なのではないでしょうか。
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