ニコラス・タラセンコ君15歳 35年ぶりに英国出身力士誕生へ

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大相撲界に新たな挑戦者が登場したと報じられています。

それも35年ぶりとなる英国出身力士と、今話題ですね。

15歳の初々しい少年、ニコラス・タラセンコとは?

彼の生い立ちや大相撲との出会いなどについてお伝えします。

目次
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大相撲に新風、英国からの挑戦者登場

長い歴史を持つ大相撲の世界に、いま一人の青年が新たな風を吹き込もうとしています。

その名はニコラス・タラセンコ君、15さい!!

生まれはイギリス、育ちもイギリス。にもかかわらず、日本の伝統文化の象徴ともいえる相撲に魅せられ、自らこの道に飛び込もうとしています。

しかも、タラセンコさんが大相撲を目指すきっかけになったのが、なんとあの元大関・把瑠都(カイド・ホーヴェルソン)さんが母国エストニアで開催した「バルト杯」なんです。その大会で見事優勝したことが、大相撲への道を決意する大きなきっかけになったんだとか。

タラセンコさんのご両親はエストニア系で、本人も柔道やラグビーの経験があるなど、もともと体を動かすのが大好きなタイプ。スコットランドにある相撲道場で稽古に励み、着々と力士になる準備を進めてきました。

ちなみに、外国出身力士にとって意外と大変なのが「食事」。力士といえばお鍋や白ごはんなど和食中心の食生活が必要ですが、タラセンコさんは「日本のご飯はおいしい!」と話しているそうで、全く問題ない様子♪ これは頼もしいですね!

スポーツ大国・イギリスでも、相撲はまだまだ馴染みの薄い存在ですが、タラセンコはその壁を越えて、「力士になる」という夢を本気で追いかけています。

彼の存在が話題を呼んでいるのは、その実力だけでなく、これまでにわずか2人しかいない「英国出身の力士」になる可能性があるからです。

これはまさに快挙であり、彼が土俵に立つ日を心待ちにしているファンも増えつつあります。

国際化が進む相撲界とその背景

以前は「相撲=日本人の競技」というイメージが強かったのですが、最近ではそんな考え方もすっかり変わりました。モンゴルの白鵬さんや朝青龍さん、ブルガリア出身の琴欧洲さんなど、海外からの力士たちがどんどん活躍していますよね。

モンゴル出身の横綱・白鵬や朝青龍をはじめ、ブルガリアの琴欧洲、グルジア(現ジョージア)の栃ノ心など、海外出身力士の活躍が相撲界に刺激を与えてきました。

今や外国人力士は当たり前の存在となり、各相撲部屋でも受け入れが進んでいます。

このような国際化の波の中で、ニコラス・タラセンコの挑戦は、また一つ新しい可能性を感じさせるものです。

欧州の中でも特に相撲との距離があった英国から、なぜ今、力士を志す若者が現れたのか――その背景をたどることで、相撲という伝統文化が持つ奥深さと、グローバル化の広がりを改めて実感できるかもしれません。

そんな中、ヨーロッパでも相撲に縁遠いイギリスから、タラセンコさんのような若者が現れたことにびっくりしたファンも多いはず。でもそれって、相撲が世界中の人を惹きつける力を持っている証拠だと思うんです。しかも英国出身力士が誕生するのは、実に35年ぶりとのこと!

ちなみに、湊親方との出会いは2023年の夏場所千秋楽パーティー。来日していたタラセンコさんとお父さんがパーティーに出席し、そこで親方が「大きいなぁ」と目を止めたのが始まりだったそう。

その場で「相撲をやりたい」と自ら志願したタラセンコさんは、その後も何度も来日して稽古に参加。日本語が通じず、身ぶり手ぶりで教えたという親方の話からも、彼の熱心さが伝わってきますね。

結果的に、原則1部屋に1人と決められている「外国出身枠」が空いていたこともあり、晴れて湊部屋への入門が決定!親方も「言葉以外に不安はない」と太鼓判を押しています。

タラセンコさんの挑戦が、どんなふうに相撲界に新しい風を吹かせてくれるのか、これからがとっても楽しみです!

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ニコラス・タラセンコとは何者か

出身地と家族背景、英国とのつながり

ニコラス・タラセンコは、イングランド中部のリーズ近郊で生まれ育ちました。

父親はウクライナ系、母親はイギリス人という家庭環境で、幼少期から多文化に触れてきたことが、異文化への関心を高めた背景にもなっているようです。

家族はスポーツ好きで、タラセンコ本人もサッカーやラグビー、そして柔道などに取り組んできました。特に柔道においては10代の頃から頭角を現し、国内大会での好成績も記録しています。

そんな彼が日本文化に出会ったのは、中学生の頃に見たドキュメンタリー番組がきっかけでした。

画面の中で静かに、しかし激しくぶつかり合う力士たちの姿に魅せられ、「相撲」という競技に強く心を惹かれたといいます。

柔道から相撲への転向と経緯

柔道を通して培った体幹とバランス感覚、そして粘り強さは、相撲でも大きな武器になります。

高校卒業後も柔道を続けながら、相撲の研究を始め、YouTubeで取組映像を見たり、日本語の勉強を始めたりと、独学で準備を重ねていきました。

転機となったのは、大学在学中に参加した日本文化イベントで、実際の相撲部屋の元力士と交流する機会を得たことです。

そのとき「もし本気なら、道はある」と言われた言葉が胸に残り、彼は本格的に来日を決意。現在は日本国内での生活にも慣れ、入門先となる相撲部屋での研修を控えるまでになりました。

海外出身力士としての注目度

ニコラス・タラセンコがここまで注目されている理由の一つは、その希少性にあります。

英国出身の力士というだけでも珍しい存在ですが、彼自身が「外国人として相撲を敬い、伝統を学びたい」と真摯な姿勢を貫いていることが、日本の相撲ファンやメディアの間でも高く評価されています。

SNSでも「純粋に応援したくなる」「相撲に新しい風を!」といった声が寄せられ、彼の挑戦はすでに多くの人の心を動かしています。

果たして彼が土俵に立ち、史上3人目の英国出身力士として名を刻む日が来るのか――その一歩一歩に注目が集まっています。

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過去の英国出身力士たち

初の英国力士・ヒューム(元・大露羅)の軌跡

ニコラス・タラセンコが「史上3人目の英国出身力士」になる可能性が注目される背景には、これまでにイギリスからわずか2人しか力士が誕生していないという希少さがあります。

その最初の一人が、ヒュームこと、しこ名「大露羅(たいろら)」です。

ヒュームはスコットランド出身で、1970年代後半に来日。身長195cmを超える体格で話題になりましたが、当時の相撲界では外国人力士に対する制度も厳しく、言語や生活の壁も高かった時代でした。

彼は序ノ口での数場所を経験したのみで相撲界を離れ、その後の消息はほとんど知られていません。

しかしその挑戦は、当時の日本にとっても画期的なものであり、「異国の文化に挑んだ先駆者」として、今も相撲マニアの間で語り草になっています。

2人目のトニー・セントクレアとその足跡

2人目の英国出身力士として知られているのが、トニー・セントクレアという名前の元レスラーです。

1980年代後半から1990年代にかけて活動しており、日本のプロレス界では有名ですが、実は短期間ながら相撲の研修生としても活動していたという経歴があります。

正式な番付に載る前に断念したため、相撲ファンの間でもその存在はあまり広く知られていませんが、「力士を目指していたイギリス人」として、タラセンコのような後進にとっては隠れた先人の一人といえるでしょう。

彼の場合は体格や格闘経験が豊富で、現在の外国人枠制度が整っていれば、もっと長く相撲を続けていた可能性もあったと言われています。

タラセンコが3人目として持つ意味

このように、英国出身力士はこれまでにわずか2人しかおらず、どちらも本格的に幕内で活躍することは叶いませんでした。

その中で、ニコラス・タラセンコが「3人目」として本格的にプロの土俵を目指すということには、非常に大きな意味があります。

彼が成功すれば、英国での相撲人気が高まり、次世代の英国出身力士が生まれるきっかけにもなるかもしれません。

すでにBBCなどの海外メディアでも取り上げられており、イギリス国内でも「Sumo Wrestler from Leeds」という見出しで紹介されるほど注目が集まっています。

これは単なるスポーツの話ではなく、日本とイギリス、そして伝統と挑戦をつなぐ文化的な架け橋ともいえるチャレンジなのです。

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