2026年8月29日、30日に日本テレビ系「24時間テレビ49」が放送されました。
今年、大きな注目を集めたのが、女優・星野真里さんによるチャリティーマラソンです。
星野真里さんの娘・ふうかさんは、「先天性ミオパチー」という筋肉の難病を抱え、電動車いすや人工呼吸器を使用しながら生活しています。
星野さんは、
「すべての子どもたちが分けられることなく、自分自身で居場所を選べる世の中になってほしい」
という思いからチャリティーランナーを務め、80キロを走破しました。
番組終了時点で、星野さんのマラソンに関連した「できた!を増やす子ども募金」には3億8054万8400円が集まり、その他の募金を含めると約7億2560万円に達しています。なお、これは放送終了時点での数字であり、最終的な集計額ではありません。
一方、「24時間テレビ」については毎年のように、
「感動の押し売りではないか」
「障害者や難病の人を感動の材料にしているのではないか」
「チャリティーなのに芸能人にギャラが支払われているのではないか」
といった批判も起こります。
さらに、2023年には系列局の元幹部による寄付金着服問題まで発覚しました。
では、「24時間テレビ」は本当に批判されるだけの番組なのでしょうか。
1978年の第1回放送から約半世紀。
その歴史を振り返ると、現在の24時間テレビには、単純に「善い番組」「悪い番組」とは割り切れない二つの側面が見えてきます。
星野真里が80キロを走った理由

2026年のチャリティーランナーに選ばれた星野真里さん。
娘のふうかさんは、筋肉の力が弱くなる「先天性ミオパチー」という難病を抱えています。
電動車いすや人工呼吸器を利用しながら生活する娘と過ごしてきた経験から、星野さんは障害の有無によって子どもたちの居場所や可能性が分けられてしまう社会について考えるようになったといいます。
今年のマラソンに合わせて設けられたのが、
「できた!を増やす子ども募金」
です。
集まった寄付金は、電動車いすの贈呈をはじめ、子どもたちの夢や社会参加を支える活動などに使われる予定です。
つまり今回は、単に
「有名人が長距離を走る」
というだけではありません。
星野さん自身の家族としての経験と、支援したいテーマが明確につながっていました。
実際、マラソン関連の募金額は番組終了時点で3億8000万円を超えました。
星野さんが走ったことで、普段は先天性ミオパチーや電動車いす、難病児の生活について考える機会のなかった人が知るきっかけになったことも事実でしょう。
一方で繰り返される「感動ポルノ」という批判
しかし、ここで出てくるのが「感動ポルノ」という批判です。
これは、障害や病気を持つ人が努力する姿を見せ、
「こんなに大変なのに頑張っている」
「自分も頑張らなくては」
と、健常者側が感動するための物語として消費してしまう構造への批判です。
24時間テレビでは長年、
障害のある人がスポーツに挑戦する。
難病の子どもが夢をかなえる。
家族が困難を乗り越える。
といった企画が数多く放送されてきました。
もちろん、出演する本人や家族が希望して参加し、その姿によって多くの人に病気や障害について知ってもらえること自体は悪いことではありません。
問題になるのは、その先です。
「障害を乗り越えて頑張った。感動した」
だけで終わってしまえば、
「なぜ車いすでは行けない場所があるのか」
「なぜ障害のある子どもが普通に学校や遊び場を選べないのか」
「本人の努力では解決できない社会的な障壁は何なのか」
という問題が見えなくなってしまいます。
今回の星野さんの言葉にあった「自分の居場所を選べる世の中」という考え方は、むしろこうした問題に近いものです。
大切なのは「頑張って障害を乗り越えること」ではなく、
障害があっても、無理に乗り越えなくても普通に暮らせる社会を作ること
なのではないでしょうか。
「なぜマラソンを走る必要があるのか」という疑問
24時間テレビの名物企画となっているチャリティーマラソンについても、長年疑問の声があります。
なぜチャリティーのために芸能人が何十キロも走らなければならないのでしょうか。
星野真里さんが80キロを走り切った姿を見て感動した人は多かったと思います。
実際、今年の瞬間最高世帯視聴率は星野さんのゴール直後で20.6%でした。番組全体の平均世帯視聴率10.5%と比較しても、マラソンへの関心の高さが分かります。
しかし、少し違った角度から見ると、
「難病の子どもを持つ母親が80キロ苦しみながら走らなければ、私たちは難病児の問題に関心を持たないのか」
という問いも生まれます。
これは星野さん個人への批判ではありません。
テレビというメディアの「見せ方」の問題です。
苦しむ姿。
限界に挑戦する姿。
涙。
ゴール。
そして募金。
この構造は非常に分かりやすく、人の心を動かします。
一方で、チャリティーに必ずしも「苦しみ」や「感動」が必要なのかという議論は、これからも続くでしょう。
寄付金着服問題で失われた信頼
24時間テレビにとって非常に大きな打撃となったのが、2023年に発覚した日本海テレビ元幹部による寄付金着服問題でした。
人々が善意で寄せた募金の一部が不正に扱われていたという事実は、チャリティー番組にとって極めて深刻な問題です。
「困っている人のために」
と子どもたちまで貯金箱を持って募金してきた番組です。
そこで寄付金の着服が起きれば、
「自分たちが募金したお金は本当に大丈夫なのか」
と疑問を持たれるのは当然でしょう。
24時間テレビチャリティー委員会は問題発覚後、外部弁護士を交えた不正再発防止対策チームを設置。
募金の管理方法や規則を改め、外部弁護士によるモニタリングなども実施しています。2026年3月にも「24時間テレビ48」の寄付金取り扱いについて外部弁護士による確認結果が公表されました。
しかし、一度失った信頼は簡単には戻りません。
今後は「信じてください」と訴えるのではなく、寄付金がどこに、いくら、どのように使われたのかを継続的に公開していくことが何より重要でしょう。
「チャリティーなのに芸能人にギャラ?」という疑問
もう一つ、毎年のように話題になるのが出演者のギャラです。
「海外のチャリティー番組はノーギャラなのに、日本では芸能人が高額な出演料を受け取っている」
といった情報をインターネットで見たことがある人も多いでしょう。
ただし注意したいのは、ネット上に出回っている芸能人ごとの具体的な金額について、公式に確認されたものばかりではないということです。
日本テレビは過去にBPO(放送倫理・番組向上機構)を通じた説明で、出演者には基本的にボランティアで出演を依頼しているものの、拘束時間が長い場合などには通常より低い水準の「謝礼」を支払うケースがあると説明しています。謝礼を辞退する出演者もいるとしています。
したがって、
「出演者全員が完全なノーギャラ」
とも、
「出演者全員が高額なギャラを受け取っている」
とも断定することはできません。
むしろ問われるべきなのは、
チャリティー番組として、制作費や出演者への支払いについてどこまで透明性を示すべきなのか
という点でしょう。
それでも無視できない「24時間テレビ」の実績
ここまで批判的な部分を取り上げてきました。
しかし一方で、「感動ポルノだから」「偽善だから」という理由だけで、24時間テレビが約半世紀行ってきた活動をすべて否定するのも公平ではないと思います。
数字を見ると、その規模が分かります。
24時間テレビが始まったのは1978年。
2026年7月時点で、48年間の寄付金総額は、
469億3,057万4,753円
に達しています。
約469億円です。
もちろん金額が大きければすべて正しいというわけではありません。
しかし、この規模の寄付を約半世紀にわたり継続して集めてきた活動を「何の意味もなかった」と評価するのは難しいでしょう。
福祉車両は累計1万2648台
24時間テレビといえば黄色い募金箱のイメージが強いかもしれませんが、実際には集めた寄付金を使った支援活動が年間を通して行われています。
代表的なのが福祉車両の贈呈です。
これは1978年の第1回から続いている活動で、2025年度までの累計贈呈台数は、
1万2648台
に達しています。
車いすのまま乗り降りできるリフト付き車両や訪問入浴車などは、福祉施設や障害のある人の生活を支える実用品です。
テレビ画面で流れる「感動」とは別の場所で、実際に毎日の生活に使われているものがあります。
この点は24時間テレビを評価する際、忘れてはいけない部分でしょう。
災害支援を長年続けてきた意味
日本は地震、台風、豪雨など自然災害の多い国です。
24時間テレビチャリティー委員会も、福祉だけでなく災害復興を主要な活動の一つとしてきました。
北海道胆振東部地震、西日本豪雨、台風19号、令和2年7月豪雨、能登半島地震など、さまざまな災害に対して義援金や復興支援を行ってきた実績があります。
近年も能登半島の学校や少年スポーツへの支援などが行われています。
災害が起きた時、
「困っている地域に寄付をする」
「何か自分にもできることはないかと考える」
という感覚は、現在の日本では比較的一般的になっています。
24時間テレビも、長年にわたりテレビという巨大なメディアを使って、こうした行動を呼びかけ続けてきました。
24時間テレビが日本のボランティア文化を作ったのか?
では、24時間テレビが日本のボランティア文化を作ったのでしょうか。
ここは少し慎重に考える必要があります。
日本で「ボランティア元年」と呼ばれているのは1995年です。
阪神・淡路大震災では全国から多くの人が被災地に駆けつけ、震災後1年間で延べ137万人以上がボランティア活動に参加しました。
国土交通省も1995年を「ボランティア元年」と紹介しています。
そのため、
「日本のボランティア文化を24時間テレビが作った」
とまで言うのは正確ではないでしょう。
しかし、24時間テレビはそれより17年前の1978年から放送されています。
スーパーや商店に置かれた募金箱。
学校や地域での募金活動。
子どもたちが一年間ためた小銭を貯金箱に入れて会場へ持っていく姿。
「テレビを見た普通の人が、知らない誰かのために少しだけお金を出す」
という行動を、全国規模で毎年繰り返し可視化してきました。
ちなみに第1回放送だけでも約11億9000万円の寄付金が集まっています。
そう考えると、
24時間テレビが日本のボランティア文化を作ったわけではないものの、「募金する」「寄付する」という行動を多くの人に身近なものとして伝えてきた番組の一つ
とは評価できるのではないでしょうか。
「偽善だからやめろ」で終わらせていいのか
24時間テレビに対して「偽善」という言葉が使われることがあります。
確かにテレビ局は慈善団体ではありません。
テレビ番組である以上、視聴率も必要です。
スポンサーも存在します。
芸能人も出演します。
感動的な場面を作るための演出もあります。
完全に純粋な慈善活動だけで構成された番組とは言えないでしょう。
しかし、ここで考えたいことがあります。
仮に動機の中にテレビ局としての利益や視聴率が含まれていたとしても、その結果として何百億円もの寄付が集まり、福祉車両が贈られ、被災地や子どもたちへの支援が実際に行われているのであれば、それをすべて無意味とする必要があるのでしょうか。
善意と商業性は、必ずしも完全な二者択一ではありません。
重要なのは、
「チャリティーを掲げているから批判してはいけない」
でも、
「テレビ番組だから全部偽善だ」
でもないと思います。
実際に何をしてきたのか。
集めたお金をどう使っているのか。
支援される側の人をどのように描いているのか。
問題が起きた時にどう改善したのか。
そこを一つずつ見る必要があります。
これから必要なのは「感動させる番組」から「社会を変える番組」への変化
個人的には、24時間テレビは「なくすべき番組」というより、
変わるべき番組
なのではないかと思います。
これまでの24時間テレビには、
「障害や病気がある」
↓
「大きなことに挑戦する」
↓
「苦労する」
↓
「最後までやり遂げる」
↓
「みんなが泣く」
という構成が確かに多くありました。
しかし、これからはその一歩先に進む必要があるのではないでしょうか。
例えば、
「車いすの子どもが必死に階段を克服しました」
ではなく、
「そもそも、なぜそこにエレベーターがないのでしょうか」
と問いかける。
「難病の子どもが夢をかなえて感動しました」
だけではなく、
「同じ病気の子どもたちが夢を諦めなくて済むためには、何が必要なのでしょうか」
まで伝える。
そうなれば、障害や難病のある人は「私たちを感動させてくれる存在」ではなく、
同じ社会を生きている一人の人間
として描かれることになります。
星野真里さんが語った「すべての子どもたちが自分の居場所を選べる世の中」という言葉も、本来はこちらの方向を向いているように感じます。
まとめ 功績が大きいからこそ、24時間テレビは変わる必要がある
「24時間テレビ」は2026年で49回目を迎えました。
約半世紀も続けば、社会の価値観もテレビのあり方も大きく変わります。
かつて自然に受け入れられていた演出が、今では「感動の押し売り」「感動ポルノ」と批判されることもあります。
寄付金着服問題によって、募金に対する信頼が大きく揺らいだことも事実です。
出演者への謝礼や番組制作費について、より透明性を求める声が出ることも理解できます。
こうした批判は、決して無視してよいものではないでしょう。
しかしその一方で、48年間で約469億円の寄付を集め、1万2000台を超える福祉車両を贈り、自然災害の被災地や福祉、子どもたちを支援してきたこともまた事実です。
そして何より、
「困っている誰かのために、自分にもできることがある」
「たとえ少額でも募金してみよう」
という行動を、テレビを通じて何十年も呼びかけ続けてきたことには意味があったのではないでしょうか。
今年、星野真里さんが80キロを走ったことについても、
「感動した」
だけで終わる必要はありません。
なぜ難病の子どもや障害のある子どもが、自分の居場所を自由に選ぶことが難しいのか。
私たちの社会には何が足りないのか。
そのために集まった3億8000万円をどう生かしていくのか。
そこまで考えることができれば、マラソンの意味も変わってくるはずです。
24時間テレビは「偽善なのか、本当の善意なのか」。
おそらく答えは、それほど単純ではありません。
商業テレビとしての側面もあり、批判されるべき問題もあり、それでも実際に救われてきた人や施設が存在する。
だからこそ、
「偽善だからやめればいい」で終わるのではなく、約半世紀かけて築いてきたチャリティーの力を残しながら、時代に合わせて変えていくこと。
それがこれからの「24時間テレビ」に求められているのではないでしょうか。
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